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オタクの屍を越えてゆけ/遺書/なご

オタクは死んだ。

オタクであることを自虐的に語りながらもアイデンティティとして誇りに感じているところのあった私であるが、そんなオタクの私は死んでしまった。
昔は一週間で10本ほど見ていたアニメも見なくなってしまったし、週に9回は行っていたゲーセン・アニメイト・ゲーマーズにも行かなくなり、その他、マンガ・ゲームも積極的に読まないしやらない。バトスピもしない。ニコ動も見ない。コスプレもしなくなった。一番驚いたのは、5年ほど追っかけていた声優さんのCDもいつの間にか買わなくなったことだ。一時期はその声優さんのためなら死ねるとさえ思っていたのに。

以前の私は「2次元しか興味ないでござるデュフフフwwww」と公言していたし、心の底からそう思っていたし、「2次元に勝る3次元なし」が座右の銘だった。青春時代に女性と関わることが皆無であったため、会話することはおろか、挨拶さえ難しいような状況だった。それが今となっては普通に女の子誘って飲みに行ったり遊びに行ったりするようになり、後輩相手にセクハラ同然の発言ばかりするクソ老害と化してしまった。そんなんだからいつまでたっても彼女ができないのだろう。まぁそれはさておき。

私からオタクである部分がそっくりそのまま消え去った。だからと言って私が消えたわけじゃあない。そのまま消えてしまえたらどれだけ楽だっただろうか。オタクという病の副作用でオタクじゃなくなると消えてしまうなんて素敵じゃないか。という夢を語ったところで抜けがらの私は生き続けなければいけない。きっとこのまま順調に卒業、就職して、なんとなく良い人と出会って、結婚して子供ができて、子供がアニメとか見始めたら「お父さんも子供の頃はアニメが好きでなー」とか言ったりして、ゲームをねだられたら自分が買ってもらえなかった反動で、嫁(リアル)に怒られながらもいっぱい買い与えちゃったりなんかして、最終的に子供よりハマっちゃうみたいな無邪気なお父さんになるのだろう。

 

オタクは死んだが、そうやって自らの屍を越えて過去のオタクたちも幸せをつかんでいったのだろう。

 

 

今回の話のオチ。結局人はそう簡単には変われない。

え?オタク?辞めてないっすよ。ハイ。ちょっと次元が変わって2次元から3次元に移ったというか、まぁいわゆるアニオタ・声豚からドルオタへのジョブチェンみたいな。いやぁまさか自分がアイドルはまるなんて思ってみなかったですわ。それもこれも元凶は西野七瀬とかいう超絶可愛い生き物が目の前に現れてしまったという。とりあえずつべとかにまとめられてるなぁちゃんの可愛い動画を見て欲しいですわ。ハイ。んでそっから乃木坂46に興味が出ていろんなもの見たり聞いたらスゲーいいのねアイドルって。今じゃメンバーの名前フルで全部言えるまでになってしまいましたわ。一推しがまなったん、二推しがなぁちゃん、三推しであーちゃんかなって感じですね。乃木坂沼にハマった流れで欅坂46にも手をだしたらここにも平手友梨奈とかいう天使がおわすってもうヤビャいのね。最近はてちのことしか頭にないという。これはもう恋だね。てちガチ恋勢ですわ。中学生に恋する22歳ってオイwwww欅はてち神推しかなー。

 

 

……ハイ。

「オタク」という業は死ぬまで背負わなければいけないものなのだろう。

グットラスト、グットナイト/遺書/温帯魚

拝啓、十年後の私へ

アナタがこの手紙を読んでいるとき、私は既にこの世にはいないでしょう。

そしてそれが、私はとてもうれしいです。

 

私は今中学校でこの手紙を書いています。十年後にまた私たちのところに届くそうです。

でも、知っての通り私は二十歳まで生きることは難しいと言われています。だから十年後の私なんて存在しないでしょう。

この手紙は、だから、誰にも言えないことを言える、私のためだけの宛名のない遺書です。

 

最近私は生きる意味ばかり考えます。死ぬ意義ばかり考えています。

パパやママに迷惑だけかけて生きていることが辛いです。休みの日にだって私の病院でゆっくりすることもままなりません。薬代だって馬鹿にならないでしょう。どんなにパパとママが大丈夫と言ったって、友達のパパとママに比べると何歳も齢を取っているように見えます。申し訳なさに、夜になると涙が出てきます。

でも、なによりも辛いのが、自分から死ぬことができないことです。

死ぬ勇気がありません。パパとママがもっと悲しみます。学校や病院の先生にも迷惑が掛かります。

そんな風に言い訳をする自分が、すごく嫌いです。もっと私が強かったら、死ぬことができるのでしょうか。最後に皆を幸せにすることができるのでしょうか。

 

そんなことばかり夢見ています。十年後の私へ。アナタはどんなふうに死んだのですか。できるだけ人に迷惑をかけずに死んでいたら幸いです。

敬具

 

 

 

 

 

 

 

「ところがどっこい生きていた」

 

自分のベットの上で手紙を読み終わるとそんな言葉が口に出た。失敬失敬。

そのまま手紙をびりびりに破ろうとする。が、肉のない細腕では繊維は一ミリも離れようとしなかった。しょうがないから歯を使って切れ込みを入れ、そこからゆっくりと裂いていく。ごみ箱に紙片を入れると、重労働が終わった後のすがすがしい気分だ。弱っちさに笑えてくる。

興奮もそのままに放り出した足をゆっくりと冷たい床に下ろす。夜の冷気は家の中を覆っている。自分の体を動かそうとするときの脳と肉の間がバグっているような、そんな不自由さももう慣れた。ゆっくりと手すりに沿って流しまで移動する。今日の幸福になれるお薬を消費しなくては。

流しの電気をつけ、コップに水を入れる。こんなこともパパとママはやろうとする。だから薬を飲むときはこっそりと、一人で。ぬるい水を重くないところまで(つまりほんのちょっと)注ぐと、薬の入った缶に目を向ける。

あの頃より薬の数は増えている。効き目も強くなっていて、それはつまり決められた量より多く飲めばもうアタシはこの世からオサラバ出来て、缶の中には明日も明後日の薬もあって――――。

心の端を掠めた考えを、力任せに無理やり破いた薬の封と共にごみ箱に捨てる。いつもは鋏を使っていたけれど、まだ案外イケるじゃないか私の両腕。ジンジンと痺れた左の手のひらに薬を移そうとする。一粒四千円なのだから、どんなに疲れていようが落っことしてはいけない。慎重に慎重に。

 

薬を飲み終えると再び寝室に向かう。ほんのちょっとの動作でももう泥のように眠りたくなる。生きる意味なんて私にはないけれど、そんなもんは必要なしにアタシの体は生きようとする。

 

また辛い明日がやってくる。誰かが死んで、誰かに悲しみと、ほんのちょっとの何かを残していく。

 

「おやすみなさい」

 

この世に残っている弱っちい奴らに向かって、あたしはそう言った。いい夢を。

溶けど消えない/ぜんぶ雪のせいだ。/温帯魚

僕が受験生だったとき、一番通った喫茶店でよく流れていた曲は「懐かしのストックホルム」だった。主題の格好良さと歯切れのよい演奏が好きだったのだ。

あの頃の僕はその曲をえらく気に入っていて、つまりセンスがサイアクだった。いやまあ今も良いわけではないんだけど。それにしたってひどい。

だってそうだろう。18歳が”dear old”なんて、ナンセンス以外の何物でもない。

 

成人式がもう10日前なんて信じられない。つまり、それだけ僕はその日から何もしてこなかったってことだ。この課題だって締め切りが終わってから思い出したようなものだ。

もちろんそれは「ぜんぶ雪のせいだ」、なんてわけではなく。正確には三分の一。成人式と、読んだ本と、そしてこの課題のせいで、えらく感傷に浸ってしまったせいである。簡単に言うと1718歳の、あのベッタベタに輝いていた頃を思い出し、あろうことか今の自分と比べ、それはもう何もやる気が出なくなった。こうなるとサボり慣れた僕はマジで何もしない。

だからせめて心の整理のために(このままだとゼミが決まらない。そもそも冊子の配布を知ったのが終わってからだったのが笑えない。誰か見せてくれ)。誰の役にも立たない思い出話ではあるが、少し語ってみようと思う。笑ってくれれば幸いだ。

 

雪と聞いたときに思い出すのは、17歳の冬の日だ。

その日は太平洋側には珍しく(というと日本海側から鼻で笑われるかもしれないが)腐るほどの雪が降っていた。休日で授業はなかったが、当時吹奏楽部だった僕には当然のように練習があった。

恐らく部長陣と顧問との談合の結果だとは思うが、結局その日は自由登校になった。危ないと思ったら来なくていい。来ても自主練。午前中のみ。欠席メール多数。

皆さんならどうだろうか。フツウに考えて、行かないだろう。さらに言うと僕は高校からすでにサボり癖があったから、絶対に行かなかったはずだ。こんなんで行くのなら普段から行けよ、というほど雪は降っていて寒い日だった。

行ったのである、よりによって自転車で。普段片道20分の道を。馬鹿みたいだが、完全に馬鹿だった。

皆さん知っているだろうか。雪の中を自転車で進むと、そのうちタイヤに雪がへばりついて動かなくなるのである。回転の運動がなくなり、重さ数キロの物体を雪道に滑らせる苦行が始まる。途中で捨てていこうかと何度も思った。

学校に部員は本当に数えるほどしかいなかった。今となってはむしろ数人いたことが驚きである。そこそこ頭のいい進学校だったはずなのだが。なお自転車で登校した奴は僕を含め二人だった。後にチャリンコスターという敬称がもう一人につけられたが、彼女は元気だろうか。

練習はひどかった。ロシアの音楽はチューニングが作曲の段階で数度低く設定されているということを聞いたのは大学に入ってからだったが、まあそんな感じだ。惜しむらくば発表場所は日本だった。

そうして練習を終えた僕たちは、一通り雪を投げて、積んで、壊して、滑って、はしゃいだのだった。なんと美しい記憶!なお帰り道はもっとひどかった。具体的に言うと向かい風で進めず、自宅まであと五分でまじで死ぬかと思った。

 

大人になることは楽しい。成人式で食べたローストビーフは美味しかったし、欲しい本もゲームもたくさん買えるし、こうしてお酒を飲みながら課題だってできる。

それでもじゃあ昔とどっちが幸せだったと聞かれたら、今の僕は昔と答えてしまうだろう。毎日を暗澹たる気持ちで過ごした、いつも誰かと喧嘩をしていたような、的外れなことばかり偉そうにほざいていたあの頃が、きっとこれからの人生と比べたって一番輝いていた。あの頃のように振る舞えない自分が、ひどくくだらないものに思えてくるくらいには。

20歳が何をと言われるかもしれない。それでもこれからどれだけ雪が降ろうと、もうあの青い春が訪れることはないのだ。久しぶりに聞いた”Dear Old Stockholm”はあの頃より湿っていて、もの悲しかった。

これを書くためにあえて提出遅らせました(嘘)/ぜんぶ雪のせいだ。/オレオ

あ、そういえば何も書いてない。って締め切りもう過ぎてるじゃん!!!

 

大体決まって最初の投稿になってしまうのには理由がある。単純に早めに課題をやっておかないと忘れてしまうからである。帰ってその日にはパソコンでとりあえずWordファイルを開いてテーマを書いて保存しとく、そうすればパソコンを開く度にそのテーマが書かれたWordファイルが目に映る訳で、絶対に忘れることがないということだ。

 

今回はそれを怠った。というよりその作業すらし忘れた。そう、これはすべて雪のせいである。去年に一度だけ雪が降った。その日からすでに私が課題をやり忘れることになる伏線は張られていたのだ。

 

雪が積もるほど降り続けた冬の日、私は行くはずだったインターンの選考会をサボった。もしかするとインターンがその日決まっていたかも知れない、しかし、私は行かなかった。行かなかったことによって冬にやるはずだったインターンに行かぬまま時は過ぎた。これはヤバイと思い、必至にインターン活を積極的に行った甲斐あり、つい最近インターンの面接にまでこじつけた。その後、面接の結果が届き一次は無事に通過したのだが、最終面接の前にSPIの試験を受けて欲しいと言われた。それがつい1週間前、そう、ちょうどスタジオがある日の前後だった。その日の週末は友人の誕生会があってそのまま泊まったり、会社を紹介してくれた知人と食事に行ったりと、割とやることが多く課題に頭を割く余裕など微塵も無かった。

 

その後も、期末レポートなどに追われ、他の課題には時間を割かれていたのだが、如何せん冒頭に書いたようにWordファイルを作っていなかったため、スタジオの課題など頭に無かった。そして先ほど、シャワーを浴びながら明日の授業のことを考えているとあら不思議。スタジオやん。そいやスタジオの課題やってないやん。という具合。

 

これはどう考えても雪のせいだよね?

食べたい/食べたい/リョウコ

ひと月ほど前から、一人で食事ができない。
もともと不精者で、自炊に精を出す方ではなかったから、以前もコンビニ弁当やスーパーの総菜ばかりでまともな食生活とは言えなかったが、それでも一応日に三回はきちんと何か口にしていた。
「食べたい」と「食べる」が直結していて、お腹がすいたら食事をする、という流れが特に意識しなくてもちゃんとできていたのだ。
しかし、夏季休暇が始まってから約3か月、チクチクと細い針でいちばん弱い臓器を集中攻撃されるようなストレスが毎日続いたおかげで、秋の始め、私は一人で食事ができなくなった。
最も酷かった時期は、アルコールと水と牛乳だけで胃を満たしていた。勿論、満たされる訳が無くすべて水洗トイレに吸い込まれていったけれど。
2週間の実家での療養を経て、いまでは一応三食きちんととるようになったが、それもかなり気を張らないと未だに一人では難しい。
一人でお腹いっぱい食べると、罪悪感から半分はリバースしてしまう。だから私が一人で食べられるのは腹五分目まで。今の主食はコンビニの春雨ヌードルである。
私は「食べる」ことに憧れている。
自らの意思で食事をする、それもほぼ無意識的に食事ができるというのは、凄いことだ。
身体がもう無意識で「生きてえ!」と燃料を欲している。
手垢のついた言い方ではあるけど、やはり「食べること」は「生きること」である。
生きたいという意思と、生きようとする身体がガッチリ手を繋いでいる状態が、人がうっかり忘れてしまう位には当たり前なのだ。
さて、これから木曜三限の清田スタジオに向かうべく、私は昼食をとろうと思う。
「生きたい」という私の意思と、食べることへの罪悪感を盾に食事を放棄せんとする私の胃袋。
勝敗はいかに、である。