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排泄/遺書/縦槍ごめんね

困ってしまった。

僕には死ぬ意思なんて微塵もない。

だけど遺書を書かなければならないらしい。

大体、20年しか生きてないのに遺書もくそもあったもんじゃない。

というよりも、遺書を残す人って一体どのタイミングで遺書を書こうって思うんだろうか。

例えば、自殺で遺書を残す場合、僕は嘘臭さを感じてしまう。なんか、死を選択してしまうほど精神的にまいっている人間の行動としては余裕がありすぎではないか。まぁ僕は自殺しようと思ったことなんかないから分からないけれど。

まぁ、若くして遺書を残すなんて健康体であれば、本当に死のうと思ってる人間ではほぼほぼとれない行為なんじゃないか。だから今回のテーマにそって書いてきた遺書なんてみんなうんこだ。

うんこ見せつけあって、そっちのうんこの方が形がいいとか、臭いがすくないとか議論し合うなんて、時間の無駄だ。うんこはうんこであり、うんこほど無駄なものはないんじゃないか。

というよりも、うんこをすると言う行為自体無駄な時間だとは皆さん思わないだろうか。うんこしているときに何か生産性のある行為だと思ったことはあるだろうか。

ということで、これ以上うんこをするのは止めにしよう。

汚ならしい文章になってしまい、皆さんの気分を害してしまって非常に申し訳ないと思っている。

以上、トイレから縦槍がお送りしました。

私はカーペンターズあたりで。/遺書/どみの

遺書ほど身勝手なものはない。

死人に口なしとよく言う。そのない口が唯一喋るのが遺書であろう。それは、言うだけ言って、返事を全く受け付けない。その言葉を受け取る人は否応なしに受け入れるしかない。法律としても優先される事項であり、無視されることはない。

もし法律で決まっていなかったとしても、その言葉に従わないことは、罪悪感を掻き立て何もしてないはずなのに、こちらがまるで悪者になってしまったような気にもなる。

 

遺書は、身勝手を承知しつつ、故人はちゃっかり書くものである。

人は後悔なく死ぬのが理想的である。死にたいと私自身がまだ思えないのは、とりあえずやりたいことが残っているからであり、逆にやりたいことがなければ、いつ死んでもいいと思うと言うのだろう。しかし、すべての人が悔いなく死ぬことは出来ない。どうにか少しでも、死んだ後の後悔が少なくなるように、願望が叶うように、気休め程度に書くのである。だって死後の世界は故人にとっては知ったこっちゃない。

しかし、存在するが見えない、でもみんなが従ってくれるという遺書と言う言葉の圧力に後押しされ、ペンを進める。

それが、そのちょっと書いたものが後に大きく他人の人生を変化させるかもしれないと考えると恐ろしい。そこを理解して皆書いてきたのだろうか。それをも分かっていて遺書を残してきたと言うならば、末恐ろしい。

気持ちを楽にするため身勝手に書くのは十分理解できる。しかし、安易に後悔を、気持ちを、残すべきではないし、伝えるべきではないような気もしてきた。私はもし死ぬとなったらどちらの選択を選ぶのだろうか。

 

そんな遺書問題を平和的に解決するには形に残すべきではないのかもしれない。

紙や録音、データ化など、目に見える形に残す方法が正しいか、どうなのだろう。

むしろ、その場にいた人しか聞いていない、刹那的な言葉に乗せることのほうがいい。受け取る人にとって、残す側がどんな立場かによって、記憶の鮮明度は異なるし、人伝いに伝わっていくならば、尾びれ背びれついて、元の原型すら無くなるかもしれない。でもそれぐらいがちょうどいい。真実は分からない。死人に口なしであるから。

その程度の強制力の、かつ変化しても大丈夫なちっぽけな後悔や願望を述べる。その程度でいいんだ、遺言というものは。

 

告別式のBGMは、あの曲にして、程度でいい。それぐらいがちょうどいい。

まさに/遺書/仄塵

私はもうこの世にはいないということでいいでしょうか。どのような死に方をしたのか、最期にはどんな顔をしていたのか、あなたがそれを知っているのなら教えて欲しい。いや、多分魂が抜けていった時は、上空からその様子をじーと見ていたと思うから、きっともう知っている、死んだ自分が。

霊感がないからか、幽霊やおばけの存在は信じない。けれど人に魂があることと、死ぬ時にそれが肉体から抜けていくことと、来世があることは、無信仰だけど信じている。そのいつか肉体から離脱する意識の塊は私の死を見届けてくれることを期待している。まあその時が来たらもう「私」は「私」じゃなくなるけど。

ここまで読んだあなたは、突拍子もない話に困惑しているのかもしれない。言いたいのは、私は死そのものに恐怖を感じないこと。しかし人間として生きることは、ただ呼吸と脈拍を維持すれば良いのではなく、価値の創出が期待されるわけである。私はそれが出来ないまま死んでしまった。だから本当に両親に対して申し訳ないとは思っている。稼ぐようになったら最低でも月1万は家に入れると決めていたのに、それが出来なくてごめんなさい。

そう、死ぬ前の私は、財産も何も、「価値」と言えるものを残すことができなかった。だから遺書を書く立場ではないと思うが、唯一残るのは、私の体だ。唯一自分のものは、自分の思う形で始末してほしい。

まず臓器提供については、移植出来るものはすべて提供したい。私の角膜で誰かが見えるようになるとか、私の腎臓で誰かの命が救われるとか、そんな偉そうな理由ではなく、ただただそのまま焼かれてしまうのは勿体無いから、まだ30年は問題なく使えるのに。だからもし移植が成功したとしても、その患者からの感謝状とか、両方の精神的負担になるようなことはしないで頂きたい。人道的な考えで提供したわけでもないから。

それでも私の体はやがて焼却炉の中で焼かれて、焼骨になるのは知っている。そして実際に親族が貰えるのはほんの少しだけで、骨壺に入りきれなかった分は廃棄されてしまうことも知っている。その遺骨だが、是非樹木葬でお願いしたい。墓石が冷たくてその下にずっといるのは嫌いのと、自分が木の養分になれるのが不思議でやってみたいから。できれば果実が実る木がいい。養分としての私の成果がちゃんと出る。でもできれば食べて欲しくないな、その果実。

というわけで、これでもうこの世に思い残すことはない。今は空中に浮いてこの俗世を淡々と見渡しているのか。それともすでに別の世界に行ってしまったのか。もしくは今までの記憶が消されて転生させたのか。いずれにせよ、もう私はあなたに会うことはないだろう。
さようなら。

残し、されど遺せず/遺書/Gioru

直前までアーカイブがどうたらというレポートを書いていたせいか、遺書もアーカイブだよね? と考えています。Gioruです。

そうやって思えば清田スタジオで書かれ、ここに載っている文章は全てアーカイブでありこれから載るかもしれない文章や何かもアーカイブなわけで、書こうとして書かれなかった何かもアーカイブなわけですよね。

 

 

遺書ってものが、イメージだけでぼんやりしていたのでググってみたわけですが、そこから思った結論。僕の中で、遺書とは読むものだ、ということでしょうか。なんじゃそりゃ。

 

自殺者の遺言、飛行機墜落事故での被害者たちの遺書、死に際に残された言葉など、どれも読んでいて胸が重くなっていきました。自分の周りだけ照明が当たってないんじゃないかな、と錯覚しそうなくらいには目を凝らして読んでいましたね。中には、本当に死ぬ直前に言ったのか? カッケー! なんてものもあるわけで、そのときは(・∀・)←こんな顔していましたけど。

 

そんな中でふと思うわけです。この文章を書いた人たちが伝えたかったことを私は少しでも感じ取れたのかって。もしかしたら自分以外の誰かを励ますように書かれた言葉も、本当は呪詛が込められているのではないか。そんなことわかりようがないから、結局は僕が思ったようにしか解釈がされないのであって、そこに書かれた言葉は僕のものにしかならないのではないか。まぁ、どんな文章でもそんなことは当てはまるよね、と言われればまさにそうですとしか言えないですけど。

 

それでも遺書というレッテルを貼り付けることによってある程度のフィルターを付けることができるなら、残された言葉として読むのなら。それこそ特別に思えそうな気がするんです。自分を変える言い訳にはぴったりです。変えない言い訳にもぴったりです。

だから遺書は読むものなんですよ。

ちなみに、僕の祖母は遺書、または遺言書を残しませんでした。最後に何か聞きたかったな、とは思うのですが、何もないというのも想像が膨らむもので、どうだったんだろうなと、たまに考えるのです。

 

さて、自分の遺書を書くくらいならほかの人の遺書を読みたい僕ですが、それでも何か書くとしたら、色んな解釈ができるものがいいですよね。どんなのがいいかな。厨二臭くなるのは今の僕だから仕方がない。

 

 

感じさせてくれてありがとう

色々な体験をさせてくれてありがとう

生まれてこれてよかった

 

PS:まだ死にたくない。死にたくないし死にたくない。

遺書を書くなら/遺書/杏仁

 

[パターン1]
人生辛くなって自殺する場合

とりあえず、いかに自分が辛く悲しい人生を送ってきたかを悲観的にドラマチックに語る。
読み手の同情をいい感じに誘ってきたところで、恨んでいる人の名前を挙げて、私が自殺したすべての責任をその人に押し付けるような文章に仕立て上げる。
そんなこんなで世間から悪者認定されたその人にはこれからの人生永遠に罪悪感を背負って生きてもらう。

 

…とは言ったものの、基本的に楽観的な私は、今の人生死ぬほど辛いものではない。というか死ぬ予定はない。それに別にそんな恨み狂うような嫌いな人もいないため、この計画はいつかその時が来た時までとっておこうと思う。

 

[パターン2]
老衰で幸せに人生を終える場合

まず長年寄り添った旦那に対する愛を美しく語る。息子、娘たちが成人して結婚し、孫が生まれるまでは見守っている予定なので、彼らにありったけの財産を与えてあげる旨を伝える。
私の人生はとても充実していて後悔のない素晴らしい時間だった的な言葉をつらつらと並べてこれは大往生だったんだぞ的な雰囲気を漂わせる。私の葬式で流して欲しい音楽リストを書いておく。

 

こういう遺書を書くとなると、大前提として、30歳までには結婚してほどほどの年齢で子供を2人くらい産んで立派に育て上げて、息子たちが巣立った後には田舎に帰って猫でも飼いながら静かに老後を過ごすという私の理想の将来設計がうまくいった場合に限られてしまう。長年寄り添った旦那とやらがいないと始まらないという感じで。

 

 
というか、弱冠19歳にして遺書について考えるのは無理があるというか、今が楽しければいいや的ちゃらんぽらん期間なので死ぬことなんて考えたくありませんというのが本音です。もし今人生が終わったら後悔しか残らない自信があるので、これから、やり残したこととかないくらいに延々と図太く行きていく予定です。今のままだと死んでも死にきれない!!!楽しみたい!!死にたくない!!

もしものときに読んでね/遺書/いせ

遺書

 突然ですが、何を書こうか悩んでいたら、そういえば、ついこのあいだ2週間たらずの正月休みのために帰省したとき、ちょうど遺書を書いておこうとしていたことを思い出しました。

いやなにも久々の実家が弟たちに占拠されていて気にくわなかったとか、逆に大学に戻ることに嫌気がさして死にたくなったとかがではありません。

私が一定期間家を空けるときには、必ず自分の懐に入れて持ち歩くとあるマンガを今回はうっかり下宿先に置いてきてしまったというだけのことです。

少なくとも3日に一度はそのマンガのどこかしらのページをめくる、ということを2年近く続けていたので私は帰省早々にそわそわしだして落ち着きませんでした。ホントに肌身離さずの状態だったんですよ。でも私はけっこう熱されやすく冷めやすい性分みたいで、半年前に読んでいたものを思い出して「あ~、なんであんだけ熱中しとったんかな…」とかつて熱中した自分の趣味を恥じていたたまれなくなることがしばしばあります。だから、一回沸騰したにもかかわらずその後も60℃くらいに保ち続けているその状態(たまに思い出したように沸騰する)はわりと珍しくて。とはいえ、このマンガも冷めるかもなぁという若干の予感はなきにしもあらずなんですが。

ま、もとい、そんな私はそいつを部屋に忘れるというミスをやっちゃったんですね。マンガとの距離と反比例して、マンガに対する熱は再びじわじわと上昇し始めて、だいたい80℃くらいになったころ。うずうずと禁断症状におかされながら私の頭をササーっとよぎったのは「あれ、もしかしなくても休み中に何が起こるか分からなくないか。もし私が急な事故なんかで横浜に戻る前に死んじゃったりしたらもう二度とそのマンガに会えないんじゃない?…あ?それだけじゃなくてもし無事に帰れたとしても今後もそういう可能性はずっと残るじゃない?」という不安と恐怖。(※そんなに読みたかったなら近場の書店で買えばよかったじゃんって意見はおいといて)

-こうしちゃいられない、と私はすぐに筆をとりました。

 

『遺書        お父さん、お母さん

 親より先に死んでしまうという大変な親不孝をしてしまい、本当にごめんなさい。そして、もしこれを読んでいるのが私の両親でないのならどうかこの遺書は見なかったことにしてそっともとの場所にしまうか捨てておいて下さい。

 私はふたりの子供として生まれることができて本当に運が良かったです。感謝しています。手間をかけるだけかけさせておいて家の手伝いとか何もしなくてごめんなさい。(中略)

 さて、一つだけお願いしたいことがあります。私にはできれば棺に入れてほしい漫画があります。私の本棚を少し探してくれればすぐに見つかると思いますが、けっこうな巻数があって、その表紙は明らかに他と異彩を放っているマンガです。最後のお別れをするときとかにみんなに見えると恥ずかしいのでできれば隅っこで足下の方にこそっと隠してくれるとありがたいです。私はこんなジャンルのものも好んで読んでいたのかと恐らく驚かせてしまいますが、どうか死後までマンガ読みたいだなんて私らしいと笑って下さい。(以下略)〈本名〉より』                           

 

よし、これで今死んだとしても大丈夫、天国か地獄だかでもう一度読むことができるであろう。我ながら自分の意図をしっかり伝えることのできる文章がかけそうじゃないか。よいよい、この内容で清書しようと思ったまさにそのとき、私はこの遺書が必ずしも適切なタイミングで読まれるとは限らないことに気がつきました。もし私が横浜に戻ってすぐなんかにこれが母に見つかりなどしたら、パニックにパニックを重ねた彼女が泣きながら電話をよこしてくることは必須でしょう。事情の説明がやっかいである上、無意味に私の趣味嗜好がばれてしまうことになりなんだか気まずい感じの未来が見えました。では、弟にこの遺書の管理を委託しようかとも考えましたが、その方がよっぽど親に見つかる確率は高そうです。そもそもたぶん、知らん。意味分からん。勝手にやれ。と言って受理してくれないでしょう。

ならば、そのかくなる上は。どうするべきか良い方法と隠し場所をいろいろと考えましたが、最終的には「親よりも先に死なないように普段から注意深く生きていけば良いのではないか」という結論に至ります。そうだ、親不孝を前提に考えるのはもしものことといえどやはりやめておこう!(ホントは考えるのがめんどくさくなっただけ)

そしてとうとう私は何も残さずに実家を後にしました。

 

そんなわけで今回のテーマは「遺書」です。なんだか良いタイミングだったのかもしれません。往生際が悪いですけど万が一私が急死したときには、親に私のスマホのデータからこの文章が見つかればいいと願います。

遺書の隠し場所としては案外ちょうどよかったのかもしれません。(2017年2月1日)

帰省の駅で/ぜんぶ雪のせいだ。/T

大学が冬休みに入って、年末最後のバイトを終えてから、鈍行と特急を乗り継いで帰省をした。

僕が生まれた街は、長野県の茅野市という山に囲まれた田舎で、とくに何も無い。別に、本当に何もないのかと言われれば、そうではないのかもしれなくて、寒いから高原野菜やら寒天が作れたり、スキー場があったり、あと全然関係ないけど縄文時代には人々が住む集落がたくさんあった「都会」だったらしい。歴史の教科書に載るような土器とか土偶がいくつか見つかったりしていて、駅のお土産屋さんにはそれらをかたどった「縄文クッキー」が、野菜と寒天の横に置かれていたりする。まさか土偶たちも、一万年の時を経て、自分たちがクッキーになるなんて思いもしなかっただろうが、そこは地元にまつわる何かをなんとか商品化できないかと考えた市の商工会議所の、町おこしへの涙ぐましい努力の証である。売れてるかどうかは知らない。

八王子から乗った「特急あずさ号」を茅野駅で降りて、夏以来に地元へ帰ってきた。重いスーツケースを引きずって外へ出ると、12月も終わりになるのに道路の脇に雪がまったく見当たらなくて、ちょっと驚く。ここに雪が多く降るのは、一月に入ってからとか、もっと遅いと二月の頭だったりするけれど、少しの雪も残っていない年末はあまり記憶にない。年末年始は全国的に穏やかな陽気ですと声の綺麗なアナウンサーがどこか言ってたのを思い出して、あ、そうだったねと納得した。

 

駅から実家が離れているので、親に車で迎えにきてもらうのを待つ間、久しぶりに駅の周りを散歩してみることにした。あまり寒いと動く気にならないけれど、穏やかな陽気は少しだけ体と心をほぐして、たまには運動するのもよいだろう…なんて朗らかな思考にさせる。とは言っても、駅の周りも何も無いのだけれど。(田舎あるある、「小中学生のたまり場やデートスポットがジャスコ」を地で行く田舎なので…)

それでも少し歩いていると、駅の駐車場の近くに、あの有名な縄文土偶たちがいるのを見かけた。気になって近寄ると、通称「縄文のビーナス」と、「仮面の女神」という土偶のレプリカが、「JOMON美土偶グランプリ出場」という謎の派手なタスキを掛けられて、寂しく並んで座っていた。どうも「全国の中でいま最も輝いている土偶」を決める大会(何それ…)に出馬しているらしい。まさか土偶たちも、一万年の時を経て、自分たちがミスコンに出るなんて思いもしなかっただろうが、これもたぶん市の商工会議所の涙ぐましい努力の証なんだろうな…と切ない気持ちになった。

…でも、自分がもし土偶だったら、クッキーになるのは別にいいけど、ミスコンに出されるのはちょっと嫌だなって思ったりした。長い間土の中にゆっくり眠っていたのに、いきなり掘り返されて、勝手に人前で、顔が良いだの胸が大きいだの言われるのはなんかムカつく。町起こしのためとか知らねえよ、私の体を利用しやがって女神だぞってイライラする。土偶なのだから、たぶん何か強大な力を持っていて、それを使って自分勝手な人間どもを呪って、来年の野菜と寒天を全力で不作にさせると思う。

…穏やかな陽気は、人を、朗らかな思考にする。

二十分くらいすると、駅に父が車で迎えにきた。自分の親だけど、少し会っていないとなんか人見知りしてしまって、「お久しぶりです…お迎えに来ていただいてありがとうございます…」なんてたどたどしく挨拶した。今年は暖かいねって言うと、こんな年めずらしいよねえと父も言った。土偶のミスコンの話でもしようかなとか思ったけど、父と息子で語り合う話題ではないよなあ、気持ち悪いとちゃんと思い直して、実家に着くまでの間は車の後ろの席に黙って座って外を見ていた。

コンプレックス/ぜんぶ雪のせいだ。/ちきん

大学受験のとき、雪で電車が止まって、ホテルのロビーで偶然出会った秋田県出身21歳男性と一緒に、半日くらいかけて会場まで歩いたことをおもいだしてしまった。

 

夏は毎朝4時にポーションと豆乳でカフェオレを作って、勉強机とベッドしかない部屋の中の段差に座って飲んで、4時からスタートする1日は長~くて、笑っちゃって、駅のホームでinvitationを聞いて、ふしぎな気持ち。

冬は自動販売機で温かいコーヒーを買って、コピー機の横の真っ赤なソファで手を温めた。寮の管理人のおじさんに、なんで友達を作らないとだめなの?って聞きたかった。なんで医学部だと親の敷いたレールなの?なんで自分の意志で自分らしく、自分の道を進まなくちゃいけないの?恋をすることだって、そんなに簡単じゃない。

 

プリクラに写った女の子。そんなんで変なプライドも妬みもコンプレックスも、漏らさずに生きていけるのか。自分もそこにいるくせに無意識のうちに周囲を見下していることに、たまに気付いて自己嫌悪に陥ったりしないのか。いい子なのかな。

 

大きな窓があって、そこから車が走っているのが見えるホーム。白いファーのポンポンでポニーテールにした、声が高くて可愛い女の子。サングラスの跡で崩れたファンデーション。指輪。何も恐れずに毎週毎週、同じ志望校の名前を書かされて、何も怖くなかったのに。

たどり着いた場所は、街全体を見渡せるすっごくいいところで、冷たい空気が気持ちよくて、厚底の靴を履いたまま、思わず走り出した。しかもだいすきな先生の生まれ育った場所だ。って言葉だけが脳内をよぎって、別に先生なんて私の中の何でもないし、私は彼女の中に存在してすらいないのに、もうゴミ屑みたいな端緒から誰かに縋って、心の軸を作らないと死にそうで。数日前、母親と電話口で話したのも本当は全部戯言で、洗脳しても洗脳しても、すり抜けてしまっているのが分かるのに、それでも何でもない顔をして。どうしようもなくなったとき、私はそんな風にしかなれないのか。それが大人だって言うのか。怒って泣いて逃げたりできないの。まじめだからじゃなくてチキンだから。

ただ部屋が一人で過ごすには広過ぎて、誰も私のことを知らないんだなあって、思わず冷蔵庫を開けてしまった。

 

好きに生きていいはずなのになんど言い聞かせても忘れちゃう。ここに来てみんなと出会えてよかった理由だって、全部嘘だよ。いつも、そこに飛び込んでしまった時点で、その後もうすごく新しい気持ちにはなれない。この部屋だって、自分らしいお気に入りの空間を作ろうと、好きなものをいっぱい置いたのに、ある程度揃ってきたらもう、何の魅力も持たなくなる。

状況は1年も待たずにコロコロ変わっていくし、自分の身の振りよりも大切な誰かとの出会いなんてない。

逆光源氏計画/ぜんぶ雪のせいだ。/三水

ゆきやこんこ あられやこんこ

一月の浜辺には、犬ではなくユウタくんが駆けまわっている。

「子どもは若いなぁ」

至極当たり前のことをぼやきながら、高野さんは焚き火に木を足した。
手渡されたままに揺する鍋から、時折何かが爆ぜる、乾いた音がする。

「コレなんですか」
「珈琲の豆です、そら、もう香りがたつ頃でしょう」

言われてみれば、どこか甘い、焦げたようなにおいがする。
いま少しと顔を出せば、煙と雹と、真っ向から浜風がぶつかってきた。

「いやあ、それにしてもこれはいいネタになりますわ、伝説ですよ伝説」

大雪の浜辺で焚き火。
そりゃ後から聞けばそうだろうが、今のいま、頬が凍ってぴくりとも動かない。
ヒュウヒュウと風のなく中、走り回る子どもの足音が低く韻をとる。
木と豆の弾ける音、空高く降るとんびの鳴き声が調子を合わせた。

高野さんは鍋を取り上げながら、ユウタくんに向かって声を張り上げる。
見ればすっかり磯の方で、うずくまる様はマッチ棒ほどの大きさに見えた。

ふと振り返ると、周回ごとに届けられた貝殻が列を成していた。
端の、新しいものほど大きく、そして…… 湿っている。
段々躊躇しなくなってきたらしい。

ミルに納まってかえってきた豆を挽きながら、若くない私は火に向き直った。


一人分のりんごジュースが温まって来た頃、背中に何かが乗っかった。悪い魔女よろしく焚き火に突っ込みそうになるのを、かろうじてこらえる。

「手!」

無邪気に突きだされた手を手袋ごと握る。と、指の間からじわりとにじみ出る、さぞ塩辛いだろう、水。
あーあーあー。
言葉にならない嘆息と共にひっぺがして、握ったもみじに思いの外強い力で引っ張られた。浜辺でたたらを踏み、膝の毛布が落ちて、砂まみれ。おまけに踏んづけてまたよろける。

「後ろ!」

そんな私にはお構いなく、言うが早いか、背中にずんと重みがかかる。
砂浜を足指でつかむように、なんとか抱えて立ち上がれば、彼は高々とちっちゃな拳をかかげた。

「海!」

どこまでと問えば、ずっととのお答え。
私だけ濡れるのではと問えば、うふふとお返事。

悔しくてぐるぐる回ってやると、雪を飲んだと大騒ぎする。
いっそ楽しくなってきて、波打ち際まで走ってみせた。

子どもは風の子、七つは神の子。
一年廻ってまた来年。
この背に乗ってくれるなら、海の底までお供しようか。

「青田買いにもほどがあるぞ、おまえ」

ずっといた父がそういって、また薪をくべた。