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グットラスト、グットナイト/遺書/温帯魚

拝啓、十年後の私へ

アナタがこの手紙を読んでいるとき、私は既にこの世にはいないでしょう。

そしてそれが、私はとてもうれしいです。

 

私は今中学校でこの手紙を書いています。十年後にまた私たちのところに届くそうです。

でも、知っての通り私は二十歳まで生きることは難しいと言われています。だから十年後の私なんて存在しないでしょう。

この手紙は、だから、誰にも言えないことを言える、私のためだけの宛名のない遺書です。

 

最近私は生きる意味ばかり考えます。死ぬ意義ばかり考えています。

パパやママに迷惑だけかけて生きていることが辛いです。休みの日にだって私の病院でゆっくりすることもままなりません。薬代だって馬鹿にならないでしょう。どんなにパパとママが大丈夫と言ったって、友達のパパとママに比べると何歳も齢を取っているように見えます。申し訳なさに、夜になると涙が出てきます。

でも、なによりも辛いのが、自分から死ぬことができないことです。

死ぬ勇気がありません。パパとママがもっと悲しみます。学校や病院の先生にも迷惑が掛かります。

そんな風に言い訳をする自分が、すごく嫌いです。もっと私が強かったら、死ぬことができるのでしょうか。最後に皆を幸せにすることができるのでしょうか。

 

そんなことばかり夢見ています。十年後の私へ。アナタはどんなふうに死んだのですか。できるだけ人に迷惑をかけずに死んでいたら幸いです。

敬具

 

 

 

 

 

 

 

「ところがどっこい生きていた」

 

自分のベットの上で手紙を読み終わるとそんな言葉が口に出た。失敬失敬。

そのまま手紙をびりびりに破ろうとする。が、肉のない細腕では繊維は一ミリも離れようとしなかった。しょうがないから歯を使って切れ込みを入れ、そこからゆっくりと裂いていく。ごみ箱に紙片を入れると、重労働が終わった後のすがすがしい気分だ。弱っちさに笑えてくる。

興奮もそのままに放り出した足をゆっくりと冷たい床に下ろす。夜の冷気は家の中を覆っている。自分の体を動かそうとするときの脳と肉の間がバグっているような、そんな不自由さももう慣れた。ゆっくりと手すりに沿って流しまで移動する。今日の幸福になれるお薬を消費しなくては。

流しの電気をつけ、コップに水を入れる。こんなこともパパとママはやろうとする。だから薬を飲むときはこっそりと、一人で。ぬるい水を重くないところまで(つまりほんのちょっと)注ぐと、薬の入った缶に目を向ける。

あの頃より薬の数は増えている。効き目も強くなっていて、それはつまり決められた量より多く飲めばもうアタシはこの世からオサラバ出来て、缶の中には明日も明後日の薬もあって――――。

心の端を掠めた考えを、力任せに無理やり破いた薬の封と共にごみ箱に捨てる。いつもは鋏を使っていたけれど、まだ案外イケるじゃないか私の両腕。ジンジンと痺れた左の手のひらに薬を移そうとする。一粒四千円なのだから、どんなに疲れていようが落っことしてはいけない。慎重に慎重に。

 

薬を飲み終えると再び寝室に向かう。ほんのちょっとの動作でももう泥のように眠りたくなる。生きる意味なんて私にはないけれど、そんなもんは必要なしにアタシの体は生きようとする。

 

また辛い明日がやってくる。誰かが死んで、誰かに悲しみと、ほんのちょっとの何かを残していく。

 

「おやすみなさい」

 

この世に残っている弱っちい奴らに向かって、あたしはそう言った。いい夢を。

6年目の遺書/遺書/YDK

中二の頃(厨二ではなく)に書いた遺書はこんな感じだった。

この文章をわたし以外が読んでいるということはわたしはもういないということかな。少し残念な気はするけど、一つだけ言わせてください。わたしはいつ死んでもいい準備はしていました。だからあんまり悲しまないでください。悲しむよりもして欲しいことがあります。それは「わたしのことを覚えていて欲しい」ということです。悲しむのもその一つかもしれないけど、きっと悲しみは風化してしまうから、笑い話でもなんでもいい。あぁ、あんな奴いたな、くらいでいいから覚えていて欲しい。わたしという人間がこの世に存在していたことを認識していて欲しい。
わたしは人の死は二回あると思っています。一つは身体が死んだとき。次は他人の記憶から消えたとき。二回死ななければそれでいい。誰かの心で生かしておいてもらえればそれで。あんまり長く書くのもアレなのでこの辺で終わろうかな。今まで本当にありがとう。ばいばーい。

……厨二だな(確信) でもこの時言っていることを未だに否定はできないし、拗れてんなぁとしみじみ思う。この歳から毎年遺書は書いていたのだけれど、中3も似たような内容で高1高2もないように変化はあれど、伝えたい核心は変わっていなかった。高3になって心が弱ったのか毎週遺書を書いていた気がする。ここまで来ると遺書というよりは、愚痴の掃き溜め、に近かったかなぁ。大学に入って遺書というものを書くことはあんまりなくなった。時間がないからなのか常に無気力大学生だからなのか、わからないけど。

そう。いまでも何にも変わらない。いつ死んでもいいように遺書を書いていたあの頃も、今も。6年間何も変わらないまんまここまで来てしまった。それでもやっぱり後悔はしていないし、それが妥協の末と言われても構わないと開き直っている。

リスカも辞められない過食嘔吐も狂った貞操感覚も無理して明るく振る舞うくせにそれ以外の立ち方をしらない、こんなじぶんの人生を。生きていることと死んでいることの差もわからない。死ねないから生きているだけだと本気で思っている。そしてそんな人生にしたかもしれない親のことを憎むこともない。親への感謝は常にある。愛している。何かにエネルギーを向かわせることのできる人を尊敬している。感情が欠けている、と思っている。何もかも、くだらない。

普通の人間になりたい、と常々思っているじぶんが一番普通で、ありふれている。

誰かの特別になりたいくせに、特別扱いしてくれる人を信用できないから、誰の特別にもなれない。

妥協の上に幸せがあるのなら、私は幸せなんていらない、なれない。だから私は、自分で自分の死の形を選ぶことにだけ幸せを見出そうと思う。さよなら。ずっとずっと、覚えていて。それが一番の望みです。私を殺さないで。

ツッコミはいくらでも/遺書/rascal

今あなたがこれを読んでいるということは、もう私はこの世にいないということでしょう。私だって死のうと思って死んだわけではありません。ただ命の危機に迫っているので、私が万が一死んだときのために書いておきます。

急にピンピンしていてうるさいくらいの私がなぜ死んだのか疑問に思っているでしょう。死因はズバリ江口拓也です。私の大好きな自主企画ユニットTeamゆーたくが記念すべき江口拓也30歳の誕生日の前日に福岡でイベントをやるからいけないのです。江口拓也クラスタ、並びにゆーたくの追っかけとしては行かないわけありません。例えイベントが部活の試合の次の日で、イベントの次の日部活があったとしてもです。きっとイベントの最中にゆーたくの可愛さにキュン死にしたか江口拓也29歳最後のお言葉に涙しすぎて脱水症状を起こしたか、イベントが終わって過労死したかのどれかだと思われます。

こんなバカみたいな死因で呆れているでしょうけれど、私はこの人生大変楽しく過ごせました。こんなに楽しく感じられたのは家族と友人に恵まれたからだと思っています。本当にありがとう。以下家族に一言ずつ遺しておきます。

父さんへ
今まで学費を出してくれてありがとう。漫画オタクへの理解のある父親でよかったです。趣味も合うし。私が気になっていたGL漫画を何の打ち合わせもせずKindleで買っていたときは感動しました。なんならBLの扉を開いてみてはどうでしょう。案外いけるかもしれませんよ。

母さんへ
今までいろいろ世話を焼いてくれてありがとう。私の銀行口座の中にある雀の涙ほどの貯金と今まであなたに預けていたお年玉はすべてあなたのものです。やったね。妹がグッズやイベント参加費で駄々をこねても甘やかさず大事に使ってください。あと適度に子離れしてください。

妹へ
なんだかんだで声優趣味があってよかったです。いいイベント仲間でした。あなたには私のiPhoneとデスクトップパソコンをあげるので声優クラスタであることに誇りをもってオタ活してください。もっと江口拓也の良さを知ること。あとアイナナ進めてください。あなたはうたプリ派だからアイナナのストーリー進めるの嫌がるかもしれないけど、ストーリー進めたら曲も増えるのでやった方がいいと思います。そろそろ壮五くんの誕生日なのでステラストーン貯めておいてね。

最後に。葬式には親友の剣道班の2人と、できればヴォルデモートさんを呼んで、ゆーたくの「Take you take me」を流してください。以上。

 

 

 

 

 

 

 

PSもし生き残れたら。生き残った私へ
そろそろTrignalのソロライブのチケット先行抽選の期限だと思うので応募してください。それだけ。

ユーレイと雪/ぜんぶ雪のせいだ/きりん

ワガハイハユーレイデアル。名前は覚えてない。
今はとある眼鏡の青年に憑いています。
自分はユーレイにしては珍しく死んだ自覚があるほうで、そのせいで、というか自意識がいったん断絶しちゃっているから、生前のどんな縁でその人に憑いているのか自分ではもう思い出せない。私が憑いていても別に元気に過ごしているみたいだし、ちょっと申し訳ないけれど、まぁ自分の家みたいなものだと思ってる。ね?おうちさん。

今日、おうちさんはスキー場へやってきた。おうちさんが普段暮らしているあたたかな海沿いではなかなか雪が降らないから、私も久しぶりに雪をみる。憑いた人からはあんまり離れられないし、洋服もあんまり複雑なつくりは想像できないから結局いつも白いワンピース。ユーレイもなかなか不便なのだ。

生前はたぶん雪遊びにきたことがあった……気がする。コース半ばでお友達とはしゃぐおうちさんを頭の上から眺めていると、なんとなくもっふもふの雪の感触がよみがえってくる。ちょっと離れたところで、一人まっさらな雪の上にダイブしてみる。実体のない私のカラダは、何の跡ものこさずに雪の上へふわりと落ちた。そのままごろごろと転がってみる。雪へ沈み込む重さがないのはさみしいけれど、半分埋もれて見上げる雪空はいつかの記憶のままで、なんだか胸の奥が火を灯したみたいにあたたかくなった。

ちょっと離れすぎたみたいだから、一度おうちさんたちのところへ戻った。少しくだった端のほうで雪のかけあいっこしてる。ああ、おうちさんやお友達たちと雪合戦をしたり、カマクラをつくったりしたら楽しいだろうなぁ。普段なら彼らに干渉しようなんてぜったい思わないのに。なんだか体のまんなかがあったまって、逆にひんやりとした手足の感覚がもどってきちゃった感じ。
そうだ、ユーレイの必殺技「ポルターガイスト」!!あれを使えば、雪玉ぐらいはつくれるかもしれない。ちょっと不気味がられてもいいや!とにかく、雪をかき集めてぎゅっと固めていけばいいはず。おうちさんの傍らを陣どってふかふかの雪に意識を集中させる。うわ、全然動かない。片手ですくう感じをイメージして……。
なんとか片手分の雪を浮かせたときだった。わっ、と周りが騒がしくなった気がして、顔をあげた。
おうちさんがいない。
急いであたりを探しまわると、すぐ近くの崖を降りたコース外で見つけた。血は見えないけど、倒れて動かない。どうしよう、落ちてしまったのか。もしかして私の念の余波かな。浮かれてたから、暴発しちゃったのかな。せめてお友達のいる崖の上まで体を運んであげたいけど、手はすり抜けちゃうし、念では彼のうでぐらいしか動かせない。

どうしよう。
ぜんぶ雪のせいだ。

冬が胸にきた。/ぜんぶ雪のせいだ。/なご

2014年2月15日を僕は忘れない。

3年前、この日は記録的な豪雪日だった。交通インフラもほとんどがストップするという危機的状況だった。

かくいう私は2回目の受験生生活を送っており、この日はKO大学の文学部の受験日となっていた。親は何としても私を受験会場まで送り届けようと必死になってくれていたが、私の方はどうせ行ったって受かりっこないという気持ちでいたので半ば諦めていた。

まず、家から出ることが至難だった。ドアが積もった雪のせいで開かないのである。ここは家の中からお湯をかけるなどして何とかクリアした。
次に、動いている路線の最寄りまで車で行こうとしたのだが、肝心の車が動かない。完全にタイヤが雪に取られてしまい空転してしまっているのである。まず、タイヤの周りの雪をかいて、進路を確保しようとするのだがうまくいかない。近所の人も手伝って車を押してくれたりしたのだが車は1メートルほど動いただけであった。そこから1時間ほどかけて何とか家の前を脱出することには成功したのだが、通りの雪もかなり積もっており、5分ほど走ったらまた雪に取られてしまった。もうこれ以上進んで途中で止まったら悲惨なことになるということで家に引き返し、受験することを諦めたのである。

さぁ家に帰り、受験料をどぶに捨ててしまった私であるが、ここからが最高にクズである。
私は受験生、しかも浪人生でありながら、このときバトルスピリッツというカードゲームに熱中していた。なんならこの日も大会が行われるので、受験が終わったらその足で向かおうと思っていたのである。しばらく家でデッキをいじっていたら電車も動き始めたので、親に塾に勉強しに行くと言い、大会が行われるカードショップへと向かった。友達と二人で行ったのだが、なんと雪のため、お店を早く締めることになり大会は中止になってしまったのである(別に受験は中止になったわけではない)。
大方予想はしていたものの、またしても無駄足となってしまった。2人で違うカードショップに行き、夕方までカードで遊び家に帰った。

カードゲームにはまって受験に失敗した私だが、今現在就活をしなければいけないにも関わらず、某坂道アイドルたちにはまってしまい何もしていない状態である。やはり人間は変わることができないのだろう。

窓越しに/ぜんぶ雪のせいだ。/みくじ

「あれ、ピアス開けてたっけ。」

ベッドに寝転んでいた私がふと横を向くと、ちょうど机に向かっていた彼女が顔の横の髪を耳にかけた所だった。

「ちがうよ、ほくろ。よく見間違えられるんだよね。」

そう答えながらも指はキーボードを叩いている。

ピアスホールのように見えたそれは、目を凝らして見ると確かに小さなほくろだった。
ほくろというのは感じで黒子と書くだけあって、たいてい黒に近い茶色とかだと思う。しかし彼女のそれは薄い茶色で、よほど近づかなければピアスホールの皮膚のくぼみに見えるのも仕方ないように思えた。

「いっそ開けちゃえば。」

「それも考えたんだけど、バイトがピアス駄目なんだよね。」

「面倒だねえ。」

彼女の視線は尚もスクリーンに固定されていたが、私は一度彼女の方に向けた首が錆びたブリキ人形のように固まって眼球も何故だか動かせなくなった。

仕方ないので視界にわずかに映り込む手元のマンガをひっくり返し、両手で頬に添えてゆっくり首の向きを正面に治した。

グギギギと音が鳴りそうな動きはどう見ても、人類が滅びて数百年地球に取り残され肩が小鳥の休息所とかしたロボットのそれだったがそれが目撃されることはなかった。

よって第三次世界大戦での化学兵器の打ち合いも、人類の滅亡も取り残された人好きのロボットも急に動いた止まり木に驚き飛び立つ小鳥たちも存在しえなかった。

手元にあった漫画本をまた手の上で開くと、角が数ミリメートルほど折れていた。しかしこれは一年ほど前からコミックレンタルを開始したレンタルショップのものなので問題ない。

もしこれが彼女の蔵書だったなら私は二度とこの家の敷居を跨ぐことが叶わないだろうし、私の家の郵便受けに生卵くらい投げ込まれるかもしれない。
生卵にまみれた払込用紙を持ってコンビニに行くのは御免だし、なによりこの巻が終わる頃にホワホワと湯気を立てているであろうビーフシチューを食べずには帰れない。
思いのほか重たくなってきた展開に気詰まり、また顔を上げると結露でびしょびしょになった窓が目に入った。

「今日帰らなくていい?」

思えば最初から半分くらいそのつもりだった気もするが、一応声に出した。

聞こえているのかいないのか、返事が帰ってこないのでまた顔を下に向けた。

欲求不満/全部雪のせいだ/印度

“I read once that the ancient Egyptians had fifty words for sand & the Eskimos had a hundred words for snow.”
「古代エジプト人は砂をあらわす50種類の言葉を持っていて、エスキモーは雪をあらわす100種類の言葉を持っていたと読んだことがある。
“I wish I had a thousand words for love, but all that comes to mind is the way you move against me while you sleep & there are no words for that.”
「愛をあらわす1,000種類の言葉があったらいいのに。しかし心に浮かぶのは、君が寝ている時に僕を避けてよけるやり方。そこに言葉はひとつもない。」
アメリカの男性作家ブライアン・アンドレアス(Brian Andreas, 1956-)
「雪が綺麗と笑うのは君がいい」
(backnumber/ヒロイン)

 

などなど雪と言われて人が連想するのは恋愛感情が多いようで
雪が降る冬になれば恋愛ソングか失恋ソングがよく聞こえてくるし、なんならクリスマス、初詣、バレンタインとリア充なイベントがたくさんあるのだ。

天気が人の感情を動かしている、そんな気がしてきた。

雨が降れば窓辺でコーヒーでも飲みながら本を読みたくなる、晴れていれば日光を浴び背伸びをして外に出たくなる。
雪が降れば…まず布団から出たくない。
布団に入ってるのに寒いから暖房をつけようにも、布団の外が寒すぎて出るに出れないというジレンマ。
隣に人が寝てればあったかいのに。

だからもう全てが雪のせいである。
恋愛感情を揺さぶられるのも、人肌が恋しくなってしまうのも、雪のせいなのだ。
雪が降れば人は欲求不満になっちゃうのだ。

ああ寒い。

むしろ『ロマンスの神様』のせいだ。/全部雪のせいだ。/jboy

1993年にリリースされ、この季節になるといたるところで耳にするようになった広瀬香美の『ロマンスの神様』。もはや冬の代名詞ともいえるこの曲だが、同時に非常に罪深いものであるともいえる。

 

そもそもこの曲は、冬という季節をうたったものではない。明るいポップなテンションの曲調で、合コンでいい男性を捕まえたいという、よく聞いたらゲレンデで流していいような曲ではないのだ。にもかかわらずスキー用品店のCMソングに選ばれてしまったものだから、そこから火が付き「冬! ゲレンデ! ロマンスの神様!」になってしまったわけである。

 

当の広瀬香美自身についても、この曲を境に『ゲレンデが解けるほど恋したい』をはじめとした数々のウィンターソングをリリースし、「冬の女王」の名を冠するまでになった。

 

話を元に戻そう。こうしたウィンターソングが、ゲレンデで全く滑る気のないようなクソウェイ系サークル(スノボ)の連中をゲレンデへ駆り出してやしまいか、という点が今回の問題である。

もちろん「その曲聞いたことあるけど、一昔前のだし……」といったような反論は容易に考えられるだろうが、ことはそう単純でない。

一昔前にこうした文化が根付いてしまっているがゆえに、あたかも自らの自由意志でゲレンデにやってきたのだという錯覚に陥っているのだとしたら、もはや社会的病といっても過言ではない。

 

滑り方を覚えて真剣に滑ろうとしないような奴らは、コースアウトして木にでもぶつかってくたばれ。1シーズンでも23日真剣にやれば、基礎的なターンくらいはできるはずだ。それなのに覚える気のない女どもと、我流でやってきた感覚的な教え方しかできない無能な男どもが、だらだらとゲレンデの上で踊っているのを見ると腹が立って仕方ない。いっそボードでひき殺してしまいたい。

こちらがそんなことを思っているともつゆ知らず、「○○君、教え方うまいね♡キュン」みたいな感じになりやがって、遺憾極まりない。不純な下心でゲレンデを汚すな。帰れ。以上。

 

たかが一曲、されど一曲。これもロマンスの神様の御力なのだろうか。

ゾロ目の刻(仮)/共作/YDK&どみの

ハッとする。いつの間にか寝てたみたい。

外はもう真っ暗。時間を確認しようとスマホを探す。

 

4:44

 

こういう時、運がいいと思うのか。不吉だと思うのか。
手を伸ばし電気をつける。目の奥が一瞬真っ白になり、思わず目をぎゅっと瞑った。

瞳の奥の白さを和らげるために、いつもより幾分か早いペースで目をぱしぱしさせながら大して広くもない部屋を見渡す。特にオカルティなことを信じているわけではないが、起きた時間が起きた時間なだけになんとなく。丑三つ時は超えていても不気味なものは不気味だ。

角にある机、南向きの窓にかかるパステルブルーのカーテン、そして少し乱れた本棚。いつもと変わらない風景だ。杞憂だったと胸を撫で下ろした。その時、

き……ぃ……。

窓と反対の側にある扉がゆっくりと開いた。心臓が早鐘を打ち始める。手足が震える。見なければいい。気になる。見てはいけない。見るな見るな見るな見るな。

しかし首は勝手に動き始める。ドアはもう動きを止めた。振り返った、その刹那。

 

「っ…!!…」

 

かつてない勢いで身体を起こした。夢か、夢なのか。ひどい夢だ。不愉快極まりない。冷や汗でパジャマが皮膚にべっとりと張り付いている。とりあえず着替えるか、と電気に手を伸ばした。パラパラっという蛍光灯独特の音と共に目の奥が真っ白になる。
着替えを探そうと部屋をうろつく。カーテンから見える空をが意外と明るいことに気がついた。いったい何時なんだ……。ちらりと時計を見やる、そこには。

 

4:44

 

一瞬ひやっとするが、頭を振ってそんなことあるわけないと言い聞かせる。
ちょっと待てよ。扉もしかして空いてる?寝る前閉めてたよね。いや、閉めてなかったっけ。
どちらにしても確認するのが怖い。
少し速まった心臓を落ち着かせるために一呼吸。
そしてゆっくり扉の方へ視線を向けると、開けっ放しの扉からキッチンがのぞいていた。
きっと閉め忘れたんだと自分に言い聞かせ、なんとなく居心地が悪く扉を閉めに向かう。

そしてついでに着替えを済ませた。

一息ついたからなのか、短時間の疲れがどっと押し寄せてきた。重力に逆らうことなく腰を下ろし、ベットに寄りかかり少し休憩。

この後何をしよう。とりあえずご飯でも食べるか。冷蔵庫に何が余ってるだろう。あ、卵の賞味期限がやばいかもしれない。結構前に買った卵だった気がするから。いつだっけ買い物行ったの。
というかご飯最後に食べたのも、いつだっけ。

あれ、そういえば寝る前何してたっけ。
一体、いつ、寝たんだろ……う…