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昨日髪を切った。/生まれてきてごめん

昨日髪を切った。午前3時の暗闇の中、無造作に伸びていた髪を全てそぎ落とした。街はクリスマスイヴの夜明けを待っていた。

伊勢佐木町は明らかに浮足立っていた。日付が変わろうとしているのに、街は真昼のように明るかった。冷たい潮風が、直接頭皮を撫でる。肩をすぼめながら歩いた。
ふと、高校時代を思い出した。午後6時の青森市は例のごとく雪が降っていた。木曜日の練習はひたすら外を走らされる。陸上部もサッカー部も屋内練習場でぬくぬくと汗を流しているのに、僕たち野球部だけは真冬の吹雪の中にいた。気温は零度を少し下回る程度でも、吹き付ける風と雪に僕らはじっくりとなぶられた。人間は多少の暑さには強いが、寒さには極端に弱い。30分もあれば、僕らが半狂乱になるには十分だった。100メートルダッシュ1本ごとに、笑いがこみあげてくるようになる。30本目に、ようやく自分たちがおかしかった事に気づくのだ。
街の人々は、どうやら自分たちがおかしくなっていることに気づいてはいないようだった。甲高い笑い声、道端に落ちているたばこの吸い殻、すべてが僕の心を荒んだものにする。それでも、特別用がある訳ではないのにこの道を歩いているのは、少なくとも僕の中のどこかに寂しいという感情が隠れていたからだった。

僕は基本的に、人間嫌いである。もちろん友達だと思っている人は何人かいるし、尊敬できるような人物もいるが、必要以上に人と関わらないようにしていたいという思いがある。遊びに誘ってくれたり、向こうから話しかけてくれたりするのは嫌ではないが、それ以上に一人でいたいという感情が勝ってしまう。
人に嫌われたくないから、そういう考えに逃げたのだ。
そして厄介なのは、僕は人間嫌いのくせに目立ちたがり屋であることだ。人が向こうから関わってくるのは敬遠してしまうが、自分から何かを見せてそれを褒めてもらえると、とてもうれしい気持ちになる。でも、それ以上の関りは持ちたくない。自分を好きなままでいてほしい。それ以上何か関りを持つことで、プラスだった自分への印象が少しでもマイナスに傾いたら、僕は自分がまるで生きている価値のない人間だと言われているような気がしてしまう。
これは人間嫌いというよりも、人間恐怖症といったほうが正しいのかもしれない。

さて、話は12月24日午前3時にもどる。この日僕はそれまで生きてきたわずか20年の人生の中で、最も死にたいという感情に近づいた日であった。特に理由もなく、消えたくなった。強いてその理由を挙げようとすればそれはあまりに稚拙なものなので、今思い返せば笑い話である。
その理由とは、終わりの見えない虚無感のようなものだった。
自分はこのまま無駄に生きたとして、何ができるのか、何をしようとしているのか、自分を必要としている人はいるのか。そんなことをひたすら考えていたら、死にたくなった。でも痛いのは嫌いだし、もうちょっとがんばってみようという感情もどこかにあったから、僕は今日も元気に生きながらえている。それでもその日は痛くないやり方で自分を最も死に近いところまで追いやりたいと思って、私は刃物を手首ではなく頭に当てたのだった。
ひんやりとした刃先というものは、いつでも私に死を連想させる。これは僕に限った話ではないだろう。いつでも自分を殺すことのできる物体が私の身体の限りなく近いところをかすめる時の恐怖感と快感は、高校の時初めて自分で髪をそり始めたときから芽生えた感情であった。
そして同時に、到底「愛」とは呼べないが、どす黒いようで実はこの世で最も単純で透き通った感情を覚えた。髪を切り落とすという行為をしている間、僕がただ自分の欲だけを満たしてくれるような存在を欲していることを知った。
その存在こそが、僕をこの世につなぎとめた原因となったのだろう。理性がまだ正常であった僕は、ひどい嫌悪感とは裏腹に、その理性さえ吹き飛ばしてくれるような出会いを求めていた。

12月25日午前0時15分。なんの変化もなかった1日の余韻に浸るはずもなく、僕は家路についた。原付のヘルメットは髪を剃ったせいでぶかぶかで、自分が何をしたかったのかすでによくわからなくなっていた。15分前まではあれだけ追い詰められていたはずなのに、その時僕は「腹が減った」「眠い」以外の感情を忘れていた。
結局、そんなものだったのだ。
2016年が終わろうとしていた。

1年後
2017年12月25日午前0時。
明日髪を切ろう。目にかかるまで伸びた前髪は歩くのに邪魔だった。それでも伊勢佐木町の灯りはまぶしいくらいに僕の目に飛び込んできた。
ふた月くらい前から通うようになった定食屋で、いつものように名物の特製ちゃんぽんとレバニラを頼んだ。店員はずっと常連客と話をしているが、僕には話しかけてこない。それでも決して接客が悪いわけではなく、コップの水がなくなればすぐに足してくれるくらいには気にしてくれる。ひっそりと僕の中ではお気に入りの店になっていた。
あれから1年がたち、僕の人生は一変していた。
まず、野球をやめた。決して野球が嫌いになったわけではない。そのまま野球漬けの毎日を送るのも悪くなかった。しかし、このまま野球を続けて何かが変わるとも思えなかった。だから、11月に野球をやめた。
そして、歌を歌い始めた。何かを変えるには、今まで自分がやったことのない世界に飛び込むしかないと思い、高校時代の友人とともに路上でギター片手に叫ぶ道に進んだ。カバー曲もするし、自作の歌も歌う。ちなみに初めて創った詞の題名は『12月26日』、去年のあの日原付の上でつくったものであった。人前で歌ったことはないし歌う気もない。何より中身がたいしたものでなかった。

ちゃんぽんとレバニラを平らげ、店を出た。もう帰ろうと思ったが、自然と身体は去年歩いた道をなぞっていた。
街の様子は何も変わっていなかった。相変わらず神経を逆なでするような笑い声が響くし、投げ捨てられたごみも恨めしそうにこちらを見ていた。それでも不思議と感情は穏やかだった。理由はわかっていた。
この街に、僕は変えられてしまった。
思い通りにならない中で100点を目指すのではなく、80点でいいからつらくない生き方をすることを覚えた。
何かを作ってそれを誰かに見てもらう場を自分で設けることができるようになったから、自分の中だけでため込んでいた不平不満を共有することができるようになった。楽をするために、自分の感情をさらけ出した。
金を払えば、自分の欲を満たすことができた。
そしてすべてをこの街のせいにしてしまえば、自分はいつでも被害者でいることができた。

俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。

そう言い聞かせて、あの日から1年過ごしてきた。あの程度の感情に、自分は押しつぶされたのだと思いたくなかった。1年ぶりに見る景色を、きれいだとも思えず悲しいとも思えなかった。

今、僕に残っているものは何だろうか。
せいぜい、流行にのって伸ばしてみた髪の毛が意味もなく垂れさがっているくらいだろう。あの日そり落とした髪は、僕の大切なものをすべて奪ってごみ収集場へとむかった。なんの面白みもない物質で構成された僕の身体は、それを悔しいとも思わず、今日も1日1日をどぶに投げ捨てながら過ごしている。
僕らは今日も、素晴らしい人生を過ごしている。

死に切る/最終課題/眉墨

 

昨日、髪を切った。

就活のために「染めた暗色も似合うね」と高い声で笑った担当の美容師は、わたしが一年のばしていた髪はかんたんに切れても、手首までは切れなかったことを当然知らなかった。

 

オーバードーズで意識を失う瞬間の、重力がいっぺんに重くなるような感覚は、現実に強く引き戻されるようでおそろしい快感だ。

「そんなに必死で現実に生きてる人は居ないよ」

深い意識の海で最後の気泡がぼこっと出たと同時に、ゼミの友人の声が頭の中でリンと鳴った。たぶん、それはほんとうだと思った。

 

夢の中で乗っていた大学に行くのか自宅に帰るのかわからない市営地下鉄の中、乗っている人間の一体どれくらいが自分自身からの逃亡に成功しているんだろう。
はす向かいに座った女子大生は、心ここにあらずの顔でスマホを親指でつつき続けていて、わたしにはそれが羨ましかった。

世の中のたいていの人は、自分に意識があることを、起きているうちの大半、忘れている。
脳みそがあり、自分が思考できること、息を吸って吐いていること、心が動くこと。全てが統合されて一つのたんぱく質の中に収納されていること、この肉がわたしで、あっちの肉は知り合いで、こっちの肉は全くの他人。
そんなの当たり前だから、今更わたしとあなたの境界線に迷わないし、この市営地下鉄の中ではあなたにもわたしにも思いをはせる意味なんてない。

そんな発想が誰に教えられるでもなく備わっているだなんて、なんてみんなは優秀なんだろう。なんて自由なのだろう。
わたしにはみんなが、わたしの1/6の重力で生きている月の人間のような、遠い遠い存在に思えてまぶしくてこわい。

わたしは、起きている間はいつも、無意識で誰かに話しかけている。
相手は知っている人だったり全く知らない人だったりするし、年齢も性別も関係性も実にばらばらなのだが、一つだけ共通することがある。
みんなはわたしを、きちがいだと思っている。

みんなはわたしを無意識に逃がしたりはしない。
月に招いてくれることもない。
6倍の重力を背負ったわたしは、月の住人たちからすれば、視界に入るだけで不愉快になるような痛々しく気味の悪い道化なのだろう。

「どうしてみんなと同じにできないの」

月のおとながわたしを叱る。わたしは縮こまって項垂れる。
けんめいにわたしとみんなは違う星のいきものだということを説明してみるのだが、月の住人にはわたしの言葉が理解できないらしい。
さいごには結局、泣きながら謝って許していただく。
もうきちがいでいいので、かんべんしてください、と。

 

6倍の重りも、月の住人の糾弾も辛くて堪らなくなったとき、わたしは重りと一緒に心中することを選ぶ。
底に足がつくくらい深い意識の底でなら、わたしも月の住民も大差無いだろうから。せめて眠りについたときくらいは、仲間に入れてもらえるだろうから。

 

意識の中でいちばん初めに溺れたのは、中学二年生の冬だった。

当時所属していた吹奏楽部の顧問と驚くほど波長が合わず、ヒステリックな彼女のキイキイという鳴き声に神経質なくらい怯えていた。
人生で初めて後輩を持った中学2年生の春、夏の大会を経て秋、顧問に後輩の目の前で詰られることにすこしの羞恥も湧かなくなっていたわたしはすでに、学校という水槽の中で酸素の据える場所を見失っていた。

ただ小学生の時に任されていたからという理由から、はやくホームルームを終わらせたい一心で促される「自己推薦」の学級委員は、責任と生徒からの不満ばかりを背負わされ、担任からは問題を起こした生徒と共に団体責任として詰られる。

部活にも教室にも、帰っても誰も居ない自宅にも、心の荷が下ろせる場所は無かった。
思い返せばあのときから少しずつ、わたしの足には鉛がつけられていたのかもしれない。

2月14日、企業戦略にのせられた月の男女がチョコレートを贈り合い乳繰り合う日。無意味な拘束ばかりの我が中学にも同様にその日はやってきた。

水面下でこっそりとチョコレートのやりとりがされる教室、漂う甘ったるい匂いに教師陣が気づかない訳が無い。
昨日女子から笑ってチョコレートを受け取った教師に翌日厳しい顔で呼びつけられた。
男子生徒がほぼ去り、温度が急速に下がった2月の教室の床に座らされ、お尻がとても冷たかった。
各クラスの担任が神妙な顔で珍妙な自論を語り、思い思いに怒り、生徒指導が唾を飛ばし、最後に大トリの学年主任へバトンが渡される。

「お前らは、過去最低の学年だ」
過去最低。
はっきり言って、笑ってしまうくらい陳腐な罵倒だった。
のに、肺が酸素を完全に失ったのがわかった。
過去最低。
ははあ、なるほど。わたしは過去最低に不出来な人間だから、顧問にも嫌われるし他の生徒も教師も全員馬鹿に見えて、ただ生きてりゃ過ぎてく3年間がこんなにも息苦しいのか。
だったらもう、全部あきらめてしまった方がいい。

「部活停止」「とにかく全員に謝れ」
ごぽ、と最後の泡が上へのぼっていくのを、もう一人のわたしが冷静に見ていた。

 

あれから5年、無酸素の中どうにかこうにか現実に幻想を見て必死に生きてきたつもりだった。
嘔吐や自傷や過呼吸や、とにかくいろんな場面で笑えないくらいに死にかけたけれど、死んだことは未だにない。

「メンヘラって楽でいいよね」

いろんなこと免除されるもんね、と好きだった人に言われた。
わたしが一昨年、抑うつの診断を受けたことをその人は知っていた。
その人は社会人で、たぶんいろんな仕事を任され、疲れていたのだと思う。
締め切りのある社会からすれば、わたしのように見えない病を理由にある程度の甘えが許されている存在なんて邪魔で仕方がないのだろう。

 

一週間前、付き合ってから一度も会わないままひと月でその人にフラれた。
「お前がすべて悪い」
要約するとそれだけの電話に二時間半、床で尻を冷やしながら付き合った。
中学の時の音楽室が浮かび、もう死んじゃおっかな、と思った。

 

実を言うとオーバードーズは初めてではない。
一回一錠厳守の安定剤ワンシートをアルコールで飲んで床で倒れたことは三回ほど、意識の無いうちにベランダの柵を越えようとしたことは一度だけ。
臓器に負担がかかるからやめなさいと医師から再三注意を受けてはすみません、と涙ぐむのだがどうしても意識を保つのが辛いときついやってしまう。

でも、たかが10錠程度だ。
死ぬつもりでやっているわけではなかった。
今回のように。

途中で治療をやめて使わなかった安定剤と睡眠薬合わせて34錠を焼酎のストレートで一気に飲んだ。美味しくもない25度が食道を焼き、空っぽの胃袋に34粒の白い錠剤が辿り着いたのがわかった。
久しぶりの固形物に胃袋が喜んでぐんぐん吸収して血液中に薬が廻っていく。脳が緩んで思考が鈍っていく。

あと5分。
死なない方がいいんじゃないかなあという気持ちを確実に死にたい気持ちが打ち負かし、切腹を試みた身体がキッチンの包丁を目指して床を這った。目の端に捉えた埃の塊に、もうすぐ死ぬのにもかかわらず「掃除しなきゃな」と思った。

 

 

以降42時間の記憶が無い。
今日、決行日から一週間経ってはじめの来院でその話をしたら、問答無用で血を抜かれ、次に来たときに更に痩せていたら入院です、と忠告された。

 

スタジオ最後の課題がまさかこんな遺書しかかけないとは、実は思っていたけれど、書いてみてあまりの実のない人生に笑ってしまったので、わたしがもし誤って死んでも、その死に大した悲痛と意味がないことだけは強く主張しておきたい。

髪を切りました!/昨日、髪を切った/みかん

昨日、髪を切った。本当に切った。超本当。だからこれはエッセイである。今からエッセイを書いていこうと思う。

髪を切る行為は何かの決断であるとか自分を変えたいであるとか髪が長いとかモテたいとかまあいろいろある。小説とかで髪を切ったというセンテンスがあったのなら大体が主人公の女性が自分を変えたいという意味合いを持つだろう。今思ったことだけど、髪を切った、という文章からまず想像するのは髪を切った人が女性であることだ。メンヘラっぽい女性が想像できる。なんとなく。最果タヒの詩に髪を切ったっていう詩があってもおかしくない。最果タヒといえば、彼女の詩集「夜空はいつでも最高密度の青色だ」が去年の春ごろに映画化された。詩集を映画にするってどういうことだよって話題を呼んだし評判は結構よくて、キネマ旬報では日本映画のなかでベストワンだった(だったはず)。僕がバイトしている映画館でも上映リクエストのアンケートに多く名前が載っていたし、実際3月くらいに上映される。だから、その映画について書きたいと思う。

まず、最果タヒっていうのは確か二十代くらいの若い女性詩人で、なんて詩集だったかは忘れたけど中原中也賞を受賞して多くの話題を呼んだ。彼女の詩はいわゆる普通の現代詩のような難解さはなくて誤解を恐れずに言うとポエムっぽい。映画の元となった詩を引用してみよう。

 

都会を好きになった瞬間、自殺したようなものだよ。

塗った爪の色を、きみの体の内側に探したってみつかりやしない。

夜空はいつでも最高密度の青色だ。

きみがかわいそうだと思っているきみ自身を、

誰も愛さない間、きみはきっと世界を嫌いでいい。

そしてだからこそ、この星に、恋愛なんてものはない。

 

ポエムっぽいでしょ?別にディスっているわけではなくて、僕もなんかいいなと思うし普通に好きなほうだ。でもポエムっぽい。ツイッターのタイムラインに流れていても全くおかしくはない、と僕は思う。僕は詩が別に嫌いではないけど、詩とポエムの違いなんて正直よく分かっていない。なんとなくこれはいい感じだなと思う程度だし、別にそれでいいと思っている。まあとにかく最果タヒの詩は難解な現代詩とは違って日常的な言葉を並べたものなのだ。そしてなによりメンヘラっぽい。メンヘラ感がすごい。「死んでしまう系の僕らに」とかいう題名の詩集を出しているし、名前がタヒだしとにかくすごい。タヒはさすがにやりすぎでしょ。本人はタヒは感覚的に付けて、あとから死っていう意味を知ったとか言っているけど絶対うそでしょ。うそじゃなかったら天性の素質だよ。

最果タヒはまあこんな感じの詩人なのだ。僕の主観だけど、まあ他の人の感覚とそんなに遠くはないと思う。

そんな彼女の詩集「夜空はいつでも最高密度の青色だ」は池松壮亮と石橋なんとか主演で映画化されたのだ。映画のあらすじを公式サイトから引用する。

 

看護師として病院に勤務する美香(石橋静河)は女子寮で一人暮らし。日々患者の死に囲まれる仕事 と折り合いをつけながら、夜、街を自転車で駆け抜け向かうのはガールズバーのアルバイト。作り笑いとため息。美香の孤独と虚しさは簡単に埋まるものではない。

 

建設現場で日雇いとして働く慎二(池松壮亮)は古いアパートで一人暮らし。左目がほとんど見えない。年上の同僚・智之(松田龍平)や中年の岩下(田中哲司)、出稼ぎフィリピン人のアンドレス(ポー ル・マグサリン)と、何となくいつも一緒にいるが、漠然とした不安が慎二の胸から消えることはない。

 

ある日、慎二は智之たちと入ったガールズバーで、美香と出会った。美香から電話番号を聞き出そう とする智之。無意味な言葉を喋り続ける慎二。作り笑いの美香。 店を出た美香は、深夜の渋谷の雑踏の中で、歩いて帰る慎二を見つける。

 

「東京には1,000万人も人がいるのに、どうでもいい奇跡だね」。

路地裏のビルの隙間から見える青白い月。

「嫌な予感がするよ」。「わかる」。

二人の顔を照らす青く暗い光。

 

建設現場。突然智之が倒れ、そのまま帰らぬ人となった。葬儀場で二人は再会する。言葉にできない感情に黙る慎二と、沈黙に耐えられず喋り続ける美香。「俺にできることがあれば何でも言ってくれ」と慎二が言うと、美香は「死ねばいいのに」と悲しそうな顔をした。 過酷な労働を続ける慎二は、ある日建設現場で怪我をする。治療で病院に行くと、看護師として働く美香がいた。「また会えないか」と慎二が言うと、美香は「まぁ、メールアドレスだけなら教えてもいいけど」と答える。

 

夜、慎二は空を見上げる。

「携帯、9,700円。ガス代、3,261円。電気、2,386円。家賃 65,000円、シリア、テロリズム、

食費 25,000円、ガールズバー 18,000円、震災、トモユキが死んだ、イラクで56人死んだ、

薬害エイズ訴訟、制汗スプレー 750円、安保法案、少子高齢化……、会いたい」

 

新宿。二人は歩く。

 

「ねぇ、なんであの時、私達笑ったんだろう、お通夜の後」「分からない」

「ねぇ、 放射能ってどれぐらい漏れてると思う」「知らない」

「ねぇ、恋愛すると人間が凡庸になるって本当かな」「知らない」

 

不器用でぶっきらぼうな二人は、近づいては離れていく。

 

あらすじだけ見ると、何この詰め込みすぎ感。さすがにやりすぎでしょ。主人公の男は日雇い労働者だし左目見えないし女のほうは看護師で日々患者の死にかこまれているし夜はガールズバーで働いているし。それっぽい要素がパンパンに詰まっている。胸やけするわ。若者独特の虚無感みたいなものをやりすぎなくらい見せつけてくる。池松壮亮というキャスティングは流石すぎる。池松壮亮全然好きじゃなかったけどこの映画で好きになった。虚無感感がすごいんだもん。

この映画はとにかく恥ずかしい映画でイタイ映画だ。若者の自己陶酔が見てて恥ずかしくなってくる。でも、俺はこの映画が好きだ!!!何が好きなのか。この映画は恥ずかしくて恥ずかしくてたまらない映画だけど、それを分かってやっている。本当の意味でこの映画は若者を描いているのだ。若者がそもそも自己陶酔してしまう生き物だ。それを忠実に描いている。ナルシシズムに満ちたイタイ若者はイタクても本当に辛いのだし死んでしまいたのだしそれでもなんとか生きようとする感じが最高なのだ。イタサを肯定しているとは少し違くてイタくてもつらくても生きていくんだ、人生は続くんだっていう感じ。これがすごい。だから僕はこの映画が大好き!

なかんかひどいものを書いてしまったが今かなり酔っているので許してほしい。友達と飲んで帰宅したらスタジオのことを思い出して急遽書いたものだ。最後だから許してください!!

日記/昨日、髪を切った/ふとん

昨日、髪を切った。

かなりいい感じ

2017.03.08.sun

 


 

走り抜ける就活。定期がないというのに、朝の東横線が日課になっている。

珍しくゲットした端の席で何気なく遡っていた日記アプリのあるページに、目が留まった。

 

今思えば、転機はここだった。すべての出来事の風向きが、変わったきっかけだった。

 

 


 

「次は伸ばしてみる?」

意思のない表情であいまいに頷く。

私の髪なのに、いつだってそこに私の意思が含まれることはない。

月に1度。私の髪型を決めるのは、渋谷で声をかけられてからずっとお願いしている美容師だ。

 

あの日は、おじさんに見返りなしで焼肉を食べさせてもらった帰りで、まるで地位の高い女にでもなった気分で、慣れないヒールを鳴らして歩いていた。

 

改札まで500mくらいのところだった。

「すみません、…すみません!」

背は私と同じくらいだが、細身でおしゃれな男だった。好きなタイプだった。

 

こういうとき簡単に立ち止まるのは、簡単な女みたいで、嫌なんだけど、それでも何かを期待してしまうのは、この人ごみのなかから誰かが見つけてくれるかもしれない、ずっとどこかでそう思っているからだ。

特に、いつもより少しだけ気合を入れた日は。

 

「あなたをきれいにしたいと思ったんです」

「4000円でカットカラーさせて頂きます!」

 

実際は、カットモデル依頼でもサロモのスカウトでもなく、ただの勧誘。客集め。

それだけなのに、薄っぺらいけど心をくすぐるセンスのある言葉に、数多の女子から選ばれたような気持ちになってしまうのが、女の悪いところだ。

みんな、自分はお姫様になれると。いつか突然王子様が現れて救ってもらえると、どこかで信じている。信じなきゃやってられないのだ。

 

表参道、なんておしゃれな場所に、髪を切るためだけに通うなんて、そんな意識の高い女じゃなかった。初回だけ安く切ってもらって、次からはまた近場にすればいい……。

 

と思っていたのだが。

そんなこんなで、通い続けてもうすぐ1年になる。

 

初めてのときは、安い服ばかり買っていた私にはあまりにも場違いの場所で、待っている間はずっとそわそわしていた。

 

久しぶりに会った彼は、やっぱりけっこうタイプだ。

「モデルカードあげるから」

なにやら特別感のあるカードをくれた。通い続けたのはほぼこれのせいだ。

カードがあると、35日以内に来店すれば半額になる。カットカラーの元値が14000円だから、払うのは7000円で、通えない額ではない。

 

そして、

‘興味がございましたら撮影やオーディションのご案内を致します’

この1行のせいだ。

どうして「特別」はこんなに甘い響きに聞こえるのだろう。

 

「学生だから気軽に来てほしい」

それだけが本音で、別にモデルになれるわけではなかったけど、どこかで期待をしていたのだと思う。

しかしそれだけではなく、髪型は確実にいい感じになった。

 

毎月通ううちに、話す時間が増えていった。

カラーの待ち時間も話したり、どうしても日程が合わないときは開店前に予約を入れてもらったりした。

見送りの時に10分くらい立ち話することもあった。

 

努力を怠らないこと。

いまに満足しないこと。

上を目指し続けること。

 

話の内容はいつも彼のポリシーだ。

はじめは当り障りのない話とうわべの誉め言葉ばかりだったが、半年くらい通うと自分の話をしてくれるようになった。

 

史上最速でアシスタントを卒業したこと。

声をかけられたのはスタイリストデビューの直後だったこと。

そこから史上最速でトップに上り詰めたこと。

 

ほんとかよ、と思うほどの輝かしい業績をはじめは話半分で聞いていたが、熱意と実力がともなっているからだんだんと疑いようがなくなっていった。

確実にお客さんが増え続けているのが、はた目から見ても分かったのだ。

気づけばサロンで1番若いのに、1番稼ぐ存在になっていた。

命を燃やすように生きている人に、初めて出会ったと思った。

 

自分のあこがれの人を思い浮かべるとき、彼の顔が思い浮かぶようになっていた。

恋とは違う感情だった。

面接で将来像を語るとき、彼と同じようなことを言っている自分がいた。

 

そして、この前。

「就活だから暗めで」

この一言だけの注文で、伸ばしていた髪をバッサリいかれた。色は、黒だけど真っ黒じゃないグレーだ。

表情から、これまでで一番気合を入れてくれているのがわかった。

 

「自信持って、顔出して」

長さも色も激変した自分の姿は見慣れなかったが、なんだかいい感じなのは分かった。

 

この日も私が最後の客だった。

きょうは誘われると、なんとなく分かっていた。

帰りに駐車場から入る裏道を歩いて、渋谷まで行って、一緒にラーメンを食べた。

 

この次の日からだ。彼の腕を実感させられたのは。

同じことを話しても周りの反応が違う。自分の気持ちも違う。

なんだって、信用してみるもんなのだ。

 

以下、帰りの電車で打った、浮かれた日記。

 


 

あー、あー。すごい

すごく自然に

こーいう世界がみれるのか

なんで一緒にいってくれたのかな

不思議だ

 

ずっと、こうなる日が来て欲しかったし来るような気がしてた

誘わせた。誘わせたぞ

 

去年の2月

変わったかな 私は

レベルが上がったと思う

媚びへつらってたとこから

誘わせたぞ

↑なんだこのせりふは

 

嬉しいんだけど なんか、あっけなく 知ってしまったような

依存していたな リプライセルまで買って 服も化粧品も うけるな

うけるわ!!!!うける

 

髪をとても切った

すっきりだ、すっきりさっぱり

絶対にこっちの方が、いいかんじがする

あんなにイライラしてたけども

いい1日になってしまった

 

まあ、睡眠は大事ってこと!イライラにつながる

スナックのバイトはほどほどに。

 

今日聞いたプレゼンのコツ(大事)

〇やってることを言うんじゃない 思いを言う

〇「あなた」を主語に!

〇やりたい じゃなくて やる!って言う

〇企業を客観的に見るんじゃなくて、働いてる時のことを想像して言う

 

B型。思うことが似てる

それだけなんだけど

こういう人に 考えてみれば会ったこと無かった

がむしゃらに生きる。

それを他人に言わなきゃ!

 

もうよこはまだ

 

明日も、頑張ろう 全力、がむしゃらに。

人生、終わっちゃう前に

 

2018.01.14.sun

落ち着くんです/昨日、髪を切った/Gioru

昨日、髪を切った。

 

元々、あまり髪を伸ばすことはしてこなかったのだが、一人暮らしを始めてからは、美容院に行くのも面倒になることがあり、うっとうしくなって気が向いたら髪を切りに行くような生活をしている。

そういえば自分の周りにいる人たちも最近髪を切っていたなと、思い当たる。些細な事だと髪を切った直後には脳裏をよぎるだけだった。

サークルに行くと、同じパートの女の子の後輩から「先輩も髪を切ったんですねー」と話しかけられる。「そうだよ」と返すと「成人式終わりましたもんね」と返され、揶揄われていたことに気づく。おい、私の成人式は去年だぞ。それに、私の出身地での成人式は冬ではなく夏だ(新成人が成人の日周辺に帰省することが少ないため、お盆周辺で行う)。

そんなことを別の人からも言われ、合計で4回くらい同じようなやりとりをしたような気がする。そう、みんな成人式が終わると髪を切るらしい。成人式のために髪を伸ばすのは、振袖やドレスに似合う髪型を作るために(またはバリエーション)を増やすために必要だからと聞いたことがあったような、なかったような。

思えば、女子の髪型って、色んなバリエーションがあるね。編み方や縛り方次第で色んな髪型になるし(名前とかよくわからんから、色んなとしか言えないのだけれど)、たまに気づく分には見ていて楽しいし、眼にも優しい。セットする側は楽しいだけで済むはずはないだろうが。

 

私の髪型は、演奏会などに定期的に出るようになり、多少ワックスの付け方などを練習したりした。美容院では基本的に「不揃い」の、不自然にならないような髪型をお願いしている。というか、最初に切ってもらうように頼むときに頼み方がわからなくて「なんとなく、それっぽく、いい感じに」的なお願いをした記憶がある。高校に入って少し経つくらいまでは、運動をするのに邪魔だから切る、というくらいの認識しかなく、気にするようになっても、「あの髪型とかいいなぁ」と、どこか他人事で、大して知ろうともしなかったような気がする。むしろ、ワックスとか付けない俺って、無駄にキザっぽくしてなくていい感じじゃん! と思っていたようにも思う。最低限の身だしなみと、キザっぽさの違いに、もう少し早く気付いてほしかったよ、私。

そんな感じで、ワックスの付け方やドライヤーのかけ方とかを美容院で聞いたり、インターネットで調べてああでもない、こうでもないと本格的に気にするようになったのは大学生に入ってからだ。今思えば、大学生デビューしたかったのだと思う。○○になればきっと素敵な未来が待っている! 的なアレである。何度も裏切られていることは、経験上わかっているはずなのに、今度は○○だから、前回までのようにはならないはずだ! と、根拠のない自信を持って毎回挑んできている。案の定、それほど周囲に変化はなかったように思う。

気にするようにしてからしばらくして、ワックスをほとんどつけないでみんなが集まる場所に行ったこともある。雰囲気的には高校までの髪型に近い。理由としては寝坊のためにほとんどセットをする時間がなかったためだったか。とりあえずぼさぼさではない、というくらいの髪型であったように思う。サークルの後輩たちと会い、いつも通りの挨拶の後「今日の先輩、髪上げてないんですね? そっちの方がいいんじゃないですか?」と指摘をもらう。まじか。

いやいや、個人的な嗜好とかあるよね。私も、最近ショートボブ? とかの髪型にしている女の子は目で追っちゃいますよ、可愛いですねあれ。

げふんげふん。ともかく、たまたまだろうと思っていたら、今度は同輩(またも女子)から、今日の方が髪型いいね、とご指摘をもらう。なんか、今までの苦労が、変なベクトルを向いていたような気分で、なんだったのかと思ったよね。その後の会話で、「自分で髪をセットしてるの? すごいね」というありがたいお言葉ももらったのだが、実際はどうなのだろうか。

サークルの男子も、髪型をセットしている人はけっこういる。今よく使われている? モデルっぽいゆるふわウェーブ(名称あってる?)みたいにしているやつもいれば、ヘアアイロンを毎日かけて、きっちり決めてくるやつもいる。かと思えば、寝起きの髪跳ねを直してきただけのような奴もいれば、それすら直さないで来るのもいる。「さすがにヤバくないか?」と言ってみても、「いいんじゃない?」の一言で終わってしまう。

後、私のサークルではよくあることだが、演奏会の本番は髪型を特別なものにしてくるパターンが多い。男子もそこでは気を付けるらしく、髪を整えるのは勿論、オールバックにする人もいる。やり方も教わったから、今度はチャレンジしてみたいね。

女子は流石というか、なんというか。化粧や衣装も相まってまるで別人のように見える人たちもいる。まさに眼福である。記念写真一緒に撮ろう、なんて言えば一緒に撮ってくれるので本当にありがたい。これで好きな時に見られます。演奏会って素晴らしいね!(そうじゃない)

何が言いたいかって、男子が髪型とか身だしなみを整えることは当たり前ではないのか、ということになる。正直、女子が髪がぼさぼさでまったく手入れをしていなかったら「あれはないわー」と思ってしまう自分はいる。何もしていない、ストレートが好きっていう男子も、手入れをしていない髪が好きっていうわけじゃなくて、サラサラの綺麗なロングヘアーをご所望なのである(漫画でよくある風で髪がサラサラ流れるあれである)。かといって男子はそうじゃないのだろうか。ぼっさぼっさでも、街を歩く分にはそこまで咎められないようにも思う(ビジネスとかは流石に別だけど)。

私の髪型の話から、サークルに所属する男子の髪型の話へと変わっていき、あいつは髪を後ろから必死に全部前に持ってきているようで笑うだの、なんであの子はいっつも寝癖付けたまんまなのかな、とか、最近誰々が髪の毛弄り始めたよねーとか、どうやら指摘したい個所は山ほどあるようだ。更には服装の話へも発展していって、サークルの男子の評価になっていく。ワイシャツにカーディガンとかおっさんっぽいねとか、その服、新しいヤツじゃない? とか新歓期にジャケット着るとか、絶対に狙ってるよねーとか。本当によく見ていらっしゃる。

というように、整えてみてもそうでなくても、色々と思う所はあるらしい。かくいう私も、あまりセットをしなかった髪型のほうがいいよ、と言われても、いまいちピンとこなかった。しばらくその髪型を維持しようと、それっぽくなるようにセットしてみたり、服装も少し気を遣ってみて、これまたネットでトレンドなるものを調べたりして直し、マフラーの巻き方まで調べた。が、髪型はいつの間にか、髪を上にあげるスタイルに戻っていた。なんだかよくわからないが、こっちの方が落ち着くのである。ちゃんとできているような気がするからだろうか。

 

 

「今日の先輩は髪を上げてるんですね」

「こっちの髪型はダメなのかな?」

「先輩の好きな方でいいんじゃないんですか? 今度は髪染めましょうよ! 茶色とか後は、銀色とか! あ、金髪とか笑えそう」

「いや、銀髪金髪は勘弁してね」

「じゃあ茶髪ですか?」

「いや、就活あるから無理」

「それなら就活終わったら茶色ですね!」

 

 

なんて会話が後日談としてあったりする。結局今の私も髪はワックスで少し上げている。髪を短くした方が、自分が納得する髪型になりやすいのは、単純に技量が足りないからなのか。あぁ、そういえばスプレーを使った方が維持しやすいって言われてたわ。今度買っておこう。

 

今の私はこの髪型が落ち着くんです。

私のピノキオ/昨日、髪を切った。/jboy

昨日、髪を切った。

いつも僕の髪の毛はママが切ってくれるんだ。僕がもっともっと小さいころから、髪を切るときはママがやさしく切ってくれる。

「くせっけの困ったちゃんね。ママにそっくり。」

ママはいつもそう言うと、決まって僕のほっぺをそっと小突いた。

僕はママが大好きだ。たぶん世界中でママのことが一番好きなのは僕だ。パパだってかないっこないさ。多分……。

ママは僕のことなら何でも知っている。好きな食べ物、カレーライス。嫌いな食べ物、ニンジン。好きな動物、キリン。好きな色、赤。まだまだたくさんあるけど、書ききれないや。とにかく、ママは僕のことなら何でも知っているんだ。昨日僕がなくした片っぽの靴下も、ママにかかればすぐに見つかっちゃう。きっとママは魔法使いなんだ。ママは女だから魔女かな。魔法で僕のことをずっと見ててくれているに違いない!だってママも僕のことが大好きなんだから。

僕は夜に時々とても怖い夢を見て、眠れないことがある。そんなときはいつもママがそばに来て、優しく僕の体をさすりながら子守唄を歌ってくれる。僕はそれでとても心地が良くなってたいてい寝てしまうんだけど、それでも眠りにつけないときは僕の大好きな『ピノキオ』を読んで聞かせてくれる。一回だけじゃ満足しないので、ママは2回、3回と繰り返しとてもやさしい声で読んでくれるんだ。

ママとピノキオの話をしていて、

「もし僕がピノキオだったら、やっぱりママも僕に人間になってほしいと思う?」

って聞いてみた。そうしたらママはしばらくして、

「もしあなたが操り人形で悪い子のピノキオでも、いい子で人間のピノキオでも、ママはあなたのことが大好きよ」

と言って、僕が満足げに笑うと、ママもにっこりと笑って、

「今日はもう遅いから寝ましょう。かわいい私のピノキオさん。」

と言い、僕のおでこにキスをして、僕が眠るまでずっと待っていてくれた。

僕がピノキオだったらやっぱり、いい子になって人間になりたいな。ママは人形でも人間でもいいって言っていたけど、僕がいい子になったら、ママは悪い子で人形の僕より、いい子で人間の僕のことをもっと好きになってくれる。

僕は心の中でそう思って、誇らしげな気分で、ママのためにいい子になろうと決めたのだった。

***

昨日、髪を切った。

この子の髪はいつも私が丁寧に切りそろえている。ほかの人に頼んで、はさみで傷でもつけられたら大変。それに、この子も私以外の人に髪をいじられるのが嫌みたい。一度試しに美容院に連れて行ってみたんだけど、「ママじゃなきゃ嫌だ――!!」って大泣きするもんだから、それ以来行ってない。そのあと結局お断りして、家で切ってあげた。ゆるく巻いた癖が幼いころの自分とそっくり。あの時はこの癖が嫌で嫌でしょうがなかったけど、不思議と今はかわいらしく見える。

私はこの子を愛してる。世界中の誰よりも……。この子を守るためだったら、どんなことだってする。この子は私なしでは生きていけない。私もこの子なしでは生きていけない。

私はこの子のことならなんだって知っている。好きな遊具はブランコより滑り台。でも外で遊ぶよりもお絵かきが好き。最近買ってあげた黄色い帽子がお気に入り。お出かけする時はいつもかぶって出ていく。好きなお話は『ピノキオ』と『ピーター・パン』。特にピノキオは本がボロボロになるまで読んだし、今でも読んでいる。怖い夢を見るとめそめそ泣きべそをかきながら、「ママ……これ読んで……」とお願いしてくる。毎回どんな怖い夢を見たのか気になるのだけれど、それを聞いてしまったらまたこの子が夢を思い出して辛いと思うので、そんなときはそっと「わかったわ」とだけ言って、読み聞かせてやるのだった。

いつものようにピノキオを読み聞かせていると、あの子が突然自分もピノキオだったら、私は人間になってほしいと思うか尋ねられた。私はあまりに突然だったのでどう答えてよいかわからなかったが、しばらく考え込んで少しあいまいな答えをした。そうするとあの子は安心したのかにこりと笑ったので、私も笑顔で答えもう寝るように言って、眠りにつくまでそばにいてやるのだった。

あの子のすべてが愛しい。同時にあの子への愛が、あの子からの愛が恐ろしい。一心に何の疑いもなく私を見つめるあの子の瞳が、私にすべてをゆだねすやすやと立てる寝息が、私は急に怖くなって、部屋から出て思わず発狂した。

ただ、あの子のそばにいてやりたい。ただそばにいてこの腕に抱きかかえ、耳元で愛してると言ってやりたい。

そんなことを考えふと正気に戻ると、今まで自分が何をしていたのか、自分が今どこにいるのかもわからなくなっていた。知っているようで知らない景色。まるであの子のようだ。道路の向こうから誰かが歩いてきた。背丈はこどもくらいかな。見覚えのある黄色い帽子は汚れているけれど、間違いない。あの子がこっちへ向かって来る。

私はそばに駆け寄り、ありったけの力で抱きしめた。すると力強く抱きしめ返してきて、こんなに力が強くなっていたのかと驚かされた。ゆっくりと顔をあげると、そこには血みどろになって立っているあの子の姿があり、私にこういうのだった。

「ママ、だいすき。」

***

20XX年 〇月×日 患者ID *******

△月□日、交通事故にて一人息子A(7)が死亡。葬儀を済ませたのち、鬱症状を発症し夫B(42)付き添いのもと通院。一時退院し、しばらくは通常通りの生活を送っていたが、夜間の徘徊と幻覚症状のため、再度受診。自宅での経過観察となったが、前日より男の子の人形を亡くなったAと思い込み、本の読み聞かせなどを行っていた。同日午後9時ごろ、突然大声をあげながら裸足で家を飛び出していったため、Bが警察に通報。自宅からおよそ2㎞程離れた郊外の空き地にて、倒れている本患者を保護。Bとの事情聴取ののち、本科への入院が決定。現在精神安定剤の投与により、小康状態である。

 

フィクション一人相撲/昨日、髪を切った。/奴川

1.

昨日、髪を切った。

別に大したこだわりもないくせに、成人式まで惰性で伸ばしてしまった髪だった。

これどれくらい行っちゃっちゃっちゃいます? とやたらとスクラッチがきいたチャラめのお兄ちゃんに言われたので、宇多田ヒカルみたいにして下さい、と答えた。

 

宇多田ヒカルのことは割と好きだ。どのくらい好きかというと、確かエヴァの映画の主題歌をやっていたな、というレベルで好きだ。つまりほとんど何も知らない。この間の椎名林檎とのデュエット曲が良かった。

 

それよりも彼女について印象に残っていることがある。一昨年くらいにしたとあるツイートだった。まだギリ女子高生で自分のことをそこそこ頭が良いと思っていてイキり倒していた私は感銘を受けた。メチャクチャ感銘を受けたので、いくつかのアカウントでお気に入りにした記憶がある。以下引用。

「経済力のある男性が優しくてかわいくて自分を一番に思ってくれる女性(経済力低め)を選んだってなんの不思議にも思われないのに、性別が逆になると問題があるかのように思うのは非常に非理論的だ。男の子って大変ね。」

 

金と地位と権力と才能を兼ね備えた彼女だからこそ言える台詞である。そう、金と地位と権力と才能が無ければ認められないタイプの発言なのだ。今調べるとそこそこ物議を醸していたらしいが、発言者によっては物議どころかフルボッコにされるやつである。私は所有物じゃない! って発狂する女性とか、あとなんとなく男性の何かしらの神経も逆なでしそうだ。イメージで物を語っている。

まあつまり、「ヒモを飼うのの何が悪いんだ!」と言う文脈で発された文章であり、なるほどいざと言うときはこんな風に開き直ればいいのかと感心してしまった。だからなんだろうか。女子高生のときほど、私は自信に満ち溢れた存在ではなくなったけれど。

 

やっぱり彼女をロールモデルとしたい気持ちがどこかにあって、だからこんなオーダーをしたのかもしれない。金と地位と権力は正義だ。なれるもんなら私は宇多田ヒカルになりたくて、でもきっとなれないのだけれど、ああまあもういいや、今日は妹とケーキを食べに行こう。宇多田ヒカルになりたいなあ。

〈某日8時 トーストが焼けるのを待ちながら〉

 

 

2.

姉が、髪を切った。

成人式を終えたからだろう。やたらめったら斜に構えがちな面倒くさい姉は、まるで「自分は成人式に全く興味がありませーん」、みたいな顔をしていたけれど。「自分の髪でまとめ髪をした方がいいのかな」なんてウキウキで聞いてきたし、実際のところ相当楽しみにしていたのである。20歳にもなって、かなりのヒネクレ具合だ。あたしはああはなりたくない。

 

髪切ってくる、とこれまた(自分の中では)クールだと思っているのだろう口調で告げた姉がルンルンで帰ってくるものだから、まあ見れるレベルにはなっているのかな、と思ったら阿佐ヶ谷姉妹だった。阿佐ヶ谷姉妹は面白いし彼女らに髪型を寄せること自体は良いと思うが、姉の狙いはおそらくサブカル系おかっぱなのが悲劇だ。それは選ばれしサブカルにのみ許された髪型。すなわち顔面偏差値がグッドである必要がある。残念ながらあたしと寸分狂わないようなブスである持つ姉には全く相応しくない。

 

いい加減姉の見栄っ張りはどうにかして欲しいものだ。姉は確かにサブカルかぶれで、親戚には「私、あたまいいから」なんて吹聴して回っていて、うっかりそれに騙された愚かな親戚から「しっかりもののお姉ちゃんを持って良かったわねえ」なんて言われるあたしの身にもなって欲しい。あんだけ死ぬほど、泣きながら勉強した割に大してあたしと成績が変わらない、そんでもって超絶弩級のコミュ障。もうすぐ就職活動だ、なんて言っているが、あの様子じゃ相当ひどい目に遭うんだろうな、と思う。

 

向かい合ってケーキを頬張っている姉は、今日も気丈に笑えているつもりらしい。いい加減崩壊しかけているっていうのに、無理矢理に姉の表情を作るものだから、鬱陶しいったらありゃしない。もしかして今あたしに優しくすることで、将来介護でもしてもらおうってのか?いやあ勘弁してよ。

 

〈同日16時 妹と向かい合って〉

 

3.

どうやらアイツは、髪を切ったらしい。

まあ成人式を終えた女子はこぞって髪を切りに行くしな、アイツもそうだったんだろう。

それにしたってどうしようもない奴だったなあ。同窓会、みんな楽しみにしてたのにさ、アイツだけ中学の頃と全く一緒で萎えた。微妙に着飾って、誰かに寄られるでもなく微妙な表情を浮かべてて。輪に溶け込めないなら来るなよ、まさに空気読めないやつって言うか。しかも二次会のカラオケまで来やがって、微妙な顔して座ってやがるし。あ、信号変わった。

〈同日19時 彼を見掛けて〉

 

4.

うわキッモ。

〈同日19時半 男子高校生とすれ違って〉

 

5.

……みたいなことを、みんな思っているんだろう。

以上、誇大系被害妄想である。みんな誇大妄想だ被害妄想だ言うし、実際そうなのかもしれないが、実際聞こえるのだから仕方ない。いや、まだ幻聴はないんだけれど、「この人達こういう風に思っているのかな」って考えてしまうのって、もう幻聴の一歩手前だと思うのだ。しかも他人と話しているときにはほとんどエンドレスでこの状態なんだから。

 

確かに昨日、髪を切った。

本当に何が宇多田ヒカルだ。美容師さんに彼女のMVのスクショを見せた時、「うわキモ」って顔をされたのは分かってるんだ。何勘違いしてるんだこの女って思われてるんだ。顔に思ってることが出ちゃうタイプらしいその美容師さんはでも腕は確かで、バッサリ髪を切りそろえてくれたけれど。でも仕上がりは爆笑モンだったし、実際美容院のひとたちは笑っているように見えた。

 

ちょっと色気づいたことをすると、妹の視線が怖い。高校に上がって色付きリップを買った時に、「お姉ちゃんって彼氏なんていらないんじゃなかったの」と言われたのが未だに耳にこびりついている。すぐに孫の顔がみたいだなんだと騒ぐ親と、二人で戦ってきたっていうのに。ここで私が裏切ったら。そりゃあ恨まれる。いやそうじゃない、妹は私の欺瞞を見抜いているのだ。親戚はほとんど気づいていないが私はかなりのハリボテだ。もう限界だ。

 

同窓会は本当に怖かった。でも行きたかったのだ。今だったら、クラスメートとも上手に喋れるかもしれない。今思うとなんでそんな勘違いをしたのか分からないが、うっかりそう思ってしまったのだ。全然うまく行かなかった。そりゃあそうだ、最近まず同級生と喋っていない。バイト先と妹としか話していないのだ。道行く人の目線だって怖い。もうだめだ。最近独り言が大きくなっている自覚もある。自意識が過剰だ。それも分かっている。でももう勘弁してくれ。だってこの自意識をどうしたらいいのか分からないんだ。

 

明日はアルバイトだ。なんでこんなメンタルで塾講師を続けているのか分からない。どんどん仕事は増やされるし、そりゃあ生徒が合格したってのは嬉しかったけれど、でも彼らにとって私はただの悪人だ。生徒にとって先生は宿題を課す悪魔に過ぎないじゃないか。いや待て落ち着け、これじゃあダメだ。本格的に駄目だ。宇多田ヒカルのことは忘れて、ロールモデルを変えよう。私は明日、林修になるのだ。一度だけ生で会ったことがある、あのやたらと堂々とした東大卒になるのだ。ああ、東大卒になりたい。

〈同日25時 布団の中で〉

 

男/昨日、髪を切った。/手汗王

昨日、髪を切った。

髪を切った次の日は大抵、朝、目が覚めると枕の上が細かい髪の粉でいっぱいになる。前日の髪の洗い方が甘いからだろうか。枕に付いた毛の処理というのは、大変に面倒だ。しかし、髪を切った後の寝起きは清々しい。

そうこう考えながらも、朝起きると、男は必ずトイレに向かう。そしてしっかりと用を足す。用を足した後は鏡の前に立ち、体重を測りつつ、身体のコンディションチェックを欠かさない。肌の質感、張り、浮腫の強弱、体のだるさ、筋肉痛の度合いを確かめながら鏡の前で、いつもと同じポージングをとる。ここで身体に昨日と大きな違いがあれば、食事と免疫系を見直す必要性が出てくるからである。こうして男の1日は始まる。

次に男は、寝起きの重たい脚でキッチンに向かう。キッチンは男にとっての実験室である。ここではいつも様々な粉と水の調合が行われる。常人には理解しがたい、とても危険で汚い場所である。男は毎朝50gのプロテインをシェイカーで水に溶かし、無言を貫いたまま一気に飲む。男はこのプロテインのことを、”神の粉”と呼び、崇め奉る。絶対の存在であるかのごとく。

そうこうしているうちに、男の目も覚めてきたようだ。朝食の時間だ。男の朝食はバナナと卵。必要な栄養素はできるだけ自然界の食べ物から摂取する。人口の素材ではなく、天然の命を頂いているという意識がその根底にはある。他の生命を喰らっているということを意識すると、自ずから身体が食べたものでできていることを考えるようになる。男にとっての食事とは命を喰らう行為であり、食べたものは一栄養素ですら肉体に還元しようとする行為なのである。

食事を済ませた男には、向かう場所がある。そこはある種、工場にあたるだろうか。その場所には、ダラダラと汗を流し、必死になって機械を動かす男たちの姿がある。ある意味職人である彼らは一切の妥協を許さない。良いものを生み出す為には精神を研ぎ澄まし、ただひたすらに作業に打ち込まなくてはならない。同じ動き、ルーティンをひたすらに繰り返していく。どこか一部分でも雑味が出ると、全ての歯車が狂い出す。そんな繊細な単純作業なのである。男はこの工場の中でもトップクラスの技術力がある。この工場でトップに立つには、がむしゃらな努力よりも確実で正確な努力が必要だ。「努力は必ず報われる」というフレーズがある。しかしながら、これは誤りだ。誰でもがむしゃらに努力すればいいわけがない。がむしゃらに努力して報われるのは一握りの天才だけだ。正確には、「”正しい”努力は必ず報われる」である。男はこの技術力において単純作業の繰り返しを正しい努力たらしめている。この工場は職人たちが全ての力を注ぎ込み満足のいったところでその日の活動を終了する。全てが職人次第のホワイトな工場ではある、が、男たちはいつも自分たちに厳しい。毎日極限まで疲弊して帰って行く。

男はその工場から帰ると、すぐに昼食を食べ始める。鶏肉、イモ、緑黄色野菜を再び自然に感謝しながら喰らう。男がモットーに掲げる言葉は「強くなりたくば喰らえ」である。やはり食べ物は、自分の身体にして活かし続ける。食事にはそういった紳士の心を忘れない。

昼食も取り終わると、男は再び工場に向かう。今度は別の生産ラインでの単純作業が始まる。専門用語を用いると、この1日2回の生産工程を”ダブルスプリット”と呼ぶ。男はこの日二度目の作業を慎重かつ大胆に、最後の最後まで集中して取り掛かって行く。面白いのは、この生産において男が最も愛情を込めたラインに最大の成果が出るとは限らない点である。やはり出来の良いラインと悪いラインがある。しかし、男は決して競わせたりはしない。持ち味を活かすことも彼らにとっては必要不可欠なことなのである。

結局夕方まで作業は続いた。男は牛とイモ、緑黄色野菜を再び喰らう。この日も男に妥協の文字は一切なかった。この日1日が自分に誇ることのできる1日になり、自分への評価が高まる。男はこの、自らのブランディングを大切にする。そのため身だしなみにも常に気を配るのだ。
男は昨日、髪を切った。
だが、2、3日後にまた髪を切るだろう。常に自分の変化に敏感である。自らの内面を知ることは難しい。内面・精神は他者との関係において初めて、自分たらしめるからだ。他者がいなければ内面としての自己は存在し得ない。しかし、身体とは物理的な存在である。見れば変化がわかる。自分を知る上で最も簡単な事象とは己の外見の変化を見極めることである。男は筋肉においてこの変化を見極めている。この変化に全てを捧げるからこそ、髪や髭を常に同じ長さに整え、皮膚の質感を保ち続ける。
更に言えば、ブランディングを大切にすることは精神の向上を促す。内面は他者によってたらしめられるが、実際に他者に見られることはない。隠そうと思えばいくらでも内面を偽り不徳を重ねることはできる。
しかし、内面を一番よく見ているのは自己なのである。どんなに外堀を固め、あれた内面を隠そうとも、自己に誇ることのできない自らの精神では、強靭な身体などついては来ないだろう。ここには人体の科学を飛躍した虚構が働いているようにも見える。だが、実際人間という生命は科学に当てはまらない点が多く存在する。科学で全てが片付くのは機械であり、精神とは一線を画するだろう。男は、頭では理論が大切とわかっている。かつ、徹底した実践もしている。それでも理論が全てではないと強く信じている自分がいることも事実なのである。
身だしなみを整えることは精神を磨くことであり、生活で徳を積むことは身体を鍛えることなのである。

男はこの日1日を全うした。昨日髪を切ったおかげで、1日の始まりが清々しかった。そして明日、今日という日を完璧に全うした成果によって、朝はまた良い目覚めになるだろう。今日という日は昨日からの連続で出来ている。昨日を丁寧に生きなかったものに今日を全うできるはずはなく、今日を満足して終わらなければ、明日は最悪の幕開けになるだろう。男はこの真理を知っている。だからこそ、毎日を誇りを持って生き続ける。男が本来ありたかった姿は神の子なのであり、しかしそれになれないことも知っている。だからこそ徳のあるところに精神のありかを見出し、鍛錬を怠らない。

男はシャワーを浴びながら、筋肉の張り、肌の質感、皮下水分の状態を確認し、1日の汚れと疲れを洗い流す。リラックスできる環境が、ポジティブな感情をより引き出してくれる。ポジティブな成功体験は、自己承認に、そして、自信に直結し、この自身こそ、男が舞台に上がった時に一番の力を与えてくれる。この自信は成功に裏付けされているため、驕りとは別物である。
チャンピオンの心理状況として、「俺の隣に並んでいる奴らはデカい。だが、俺よりも理想的な体であるわけがない。俺が頂点でないわけがない。」という状況こそが完成された心理状況である。男たちは誰もがみな、この状態になりたくて日々妥協を許さないのかもしれない。
髪を切る、ヒゲを剃る、メイクをする、衣服を整える、心身を鍛える、食事に気を使う、自分に誇れる生き方をする、全てが追求の形であり、全てが連鎖式に繋がっている。男は自分の中の理想という理想を体現するために生きている。
理想の姿形というのは誰もが持っているものだ。しかし誰もが持っているにも関わらず、それを極限まで追い求める、実践を継続させようとするものはほんの一握りしかいない。理想が変わることはあるだろう。しかし生きている以上諦めは逃げであり、心の何処かに後悔は残り続けるだろう。男はそれが怖くて妥協ができなくなってしまった追求の被害者なのかもしれない。

 

 

男の職業は、そう。

 

 

 

 

ボディービルダー

私と兄について/昨日髪を切った/温帯魚

昨日、髪を切った。嘘だ。

でもそうしたら僕はまた、兄を置いていくのだろうか。

 

つまらない書き出しから始まってしまったが、死んだ兄について書こうと思う。「アイ」というお題を聞いてから(あるいは聞く前に)思いついたことはそのことだった。愛、哀、I。恥ずかしくなるような単語を思い浮かべながら、おそらく私が一番真剣に書けることがこれだった。これ私が最も嫌いな、誰に向けているわけでもない文章なのだろう。それでも私は書こうと思ったし、つまり書かなくてはいけないことなのだという気がするのだ。兄が死んでいなければ、私はもっと適当に、あるいは真剣に生活をしていたのだろう。もちろん、そんなことはあり得ない。どんなに考えようとどうしようもないことがあるという当たり前のことがある。

 

私と違い、髪を切ることが好きな兄だった。外見に気を遣う人で、私よりずっと多くの服を持っていたし、おそらく私が使い方もわからないような道具もたくさん持っていたのだろう。私みたいに外見に無頓着な人間ではなく、それなりにトレンドにも気を使う人だった。私より少し身長が低く、それは私の秘かな自信だった。仏頂面をしていることが多くて、私はそれをあまり好ましくは思っていなかった。とはいえ私より目が悪い兄だった。近頃は私も外を出るのに眼鏡が手放せなくなってきたが、彼はかなり昔からそうだったから、目を細めることが多くてそう見えたのかもしれない。彼がいなくなってからいくらか写真を探したりもしたが、笑いもせず、かといえば苦い顔でもない。できるだけ無表情を心掛けているような、つまり写真が苦手な男だった。家族で旅行に行った時も思えば私とともにあまり好ましく思っていない態度をとっていたことを思い出す。

だった。という言葉を違和感なく使えることに少し悲しくなる。

 

 

私にとって鏡のような兄だった。もちろんこの言葉には違和感が付きまとっていて、一番しっくりくる言葉は私にとって兄弟な兄だったという何も言っていないような言葉になる。鏡ではなかった。だから、鏡のような兄だったのだろう。あるいはもしかするとという言葉を頭につけたほうがいいと思ったりもするのだが。

私と同じように学校に行くのが下手で、人付き合いが苦手で、そのくせ人前に立つことが好きな兄だった。私と同じように信用ならないやつで、私からするといると心地の良い奴だった。私と違って夏目漱石や太宰治をよく読んで、でも私と同じように本に金をかける奴だった。私と違ってジャズが理解で来ていて、でも大体同じように音楽が好きだった。

もちろん、本当は全部違うのだろう。今まで書いたことは全部私が勝手に思っているだけのことで、本当は全然違うのだ。私からしたって書いている言葉がまるでしっくりとこない。私たちが似ていたのではなく、私が勝手にあとを追っていたのだろう。全部私の誤解で、本当はきっとまるで違っていたのだろう。彼は私がそこそこ嫌いだったし、私も彼に大体腹を立てていたかもしれない。私が馬鹿な人間であると同じように、彼も馬鹿な兄だった。私から見ても生きることが下手で、死んでしまったのだから本当に下手だった。

言葉にしたものは何となくそんな感じがして、でもまるで違うような気もする。私は彼が誇りだった。私は彼が嫌いだった。当然その両方は両立して、つまり私たちはまるで特別なところがないような兄弟だ。一緒にゲームをした。夜にどうでもいいことを話し合った。犬の散歩を押し付けた。風呂は大体私が洗ったが、洗濯をすることは彼のほうが多かった。機嫌がいいときは私に何かをくれたりもした。多分他とは違っていて、でもそんなことはどこも当たり前で、それでも私にとっては悪くない関係だった。私は馬鹿で彼の道筋を恥ずかしげもなく辿っていって、いつのまにか全然違う人間になっていて、それでもきっと同じだった。私と違ってバイクと旅が好きで、私と違って焼酎を好んでよく飲んでいて、私と違って一人暮らしをたまにしていて、私と違って私と違った。どうでもいい。兄の思い出は本当にどうでもいいことばかりで、まるで重みのない私だから同じようにドラマチックでも何もなくて、人生における刺激のようなものでもなくて、ただ過ぎ去った日常は彼がいなくなってもただ過ぎ去った日常で、何一つ変わらず思い出しながら忘れていくようで、ぼんやりとしたイメージしか残らず悲しいという言葉を使うにはあまりにも何もない。悲しいという言葉も愛しいという言葉もそうだと言われればそうなんだけど多分違うのだ。

ナンセンス。もっとも語義として正しい言葉がこれだ。言葉になんてならないまま、あるいは言葉にしようとしていないのだろうか。わからない。わからないけれど、わからないという言葉だけは手を変え品を変え表現している。

 

私が兄がいなくなって上手に悲しめないのは、きっと彼との距離が彼がいなくなっても変わらないからだと思っていた。こんなもんだ。今までだって会わないことなんていくらだってあったしそんなことを気にもしなかった。二度と会えないって言ったってそんなことで変わるような何かがあったわけではないし何も変わっていない。もちろん変化はしているのだろうけれどそれはきっといつものことで変わろうが変わるまいがどうでもいいのかもしれない。それでもきっと悲しいのだろう。あまりに自然に変わりすぎて、あるいは私がそれを見なかったせいで、それよりももっと優先すべきことがあるせいで私は悲しまなかっただけで。悲しむと悲しいの違いのようなほんの些細な違い。上手に悲しめないのではなく上手に悲しまない。悲しいのだけれど、それだけではないという事をあらわしたいのだ。私は彼を肯定したい。たとえ彼が死んだとしても、だって私が憧れた人で、兄弟なのだから。悲しいのだろう。彼を思うと目が潤むことはまだあって、それでも私はそれが悲しいからという事をうまく掴めずにいる。掴めないのか、あるいは掴もうとしていないのかそんなことは私にとっては重要ではないのだと思う。もっと何か、違う何かにしたい。そう感じているのだろうか。私にはわからない。多分きっとそこに価値はないように思える。

 

私は彼を愛している。それは当たり前のことで、愛しているという言葉に違和感があったとしてもそのことに違和感はない。死んでしまった。あーあという気持ちだ。もっと楽しいこともあって、辛いこともあったってどうにでもなるだろうと思っていた。いくつかの選択肢はなくなって、それでもいくつかの選択肢がそこにあって、それは当然のように彼が死んでいたって彼が存在している。私は馬鹿だから過去に戻れたらと真剣に想像して、もちろんそんなものはいつの間にか霧散していく。何かこう濃淡のようなものがあって、私はそれが分けられない。それは私だ。私が思うことだ。私が生きてくうえで私が動くためにある何かだ。そこのどこかに彼がいてそれは私にとってとても喜ばしいことで悲しいことで言葉にしてもしなくてもどうでもいいことなのだ。

 

兄についてのことで結論なんてまるでなくて、でもそれはきっと当たり前のようなことなのだろう。私が兄に縛られていたとしてもそれを解く気はないのだ。兄はいい奴だった。少なくとも私にとっては彼が兄でいて幸せだと言葉にできる。なんでもない。本当に何でもなくて何かにしたくない。私はしばらく彼の死を悲しまないのだろう。今までの私のように、髪もまだ切らない。わからないけど、たぶんそれがいいのだ。

髪を切るいくつかの症例/昨日、髪を切った。/縦槍ごめんね

自分の場合

昨日、髪を切った。

昔から、美容師のことが嫌いなので、非常に行きたくなかったのだが、あまりの不潔感に耐えられなくなり重い腰をあげた。

大体、美容師は何であんなに、世の中の全てを楽しんでいるという自信に満ち溢れているんだろう。髪をセットしただけで世の中そんなに楽しくなるとか、どれだけ前世で徳を積めばそうなれるのか秘訣を教えておしい。

後、彼らは夏にはサーフィンに行き、冬にはスノーボードに行き、一年の半分を板に乗って過ごすわけだが、そんなことを髪を切りに来た客にもどこか自慢気に話す。100歩譲って、話すのはいいが、何故僕がサーフィンやスノーボードに乗ると思うのか。そんな見た目か?

「お客さん、ボードやられないんすか?」

「あ、あ、はい。あの、・・・スノボはやらないです。」

「マジすか!?ボードやらないんすか?意外っすね。」

「あ、まぁ、はい。あ、・・・スノボは」

「まじ、やっといたほうがいいっすよ。ボード乗るとスキーとか戻れないっすよ」

いや、スノーボード、略してボードなら、ホワイトボードのこともお前はボードって言うのか!?

「お前日直じゃね?ボード消しとけよ。」

こんな使い方と、お前のボードの使い方は一緒なんじゃ。

まぁ、こんなに内心カリカリしたところで、いざとなると

「あ、全体的に短くしてください。」

しか僕は言えないので、いつも同じ髪型になってしまうのだが、いつか勇気を振り絞って、真剣佑みたいにしてくださいと言える日が来ることを祈りながら、頭が軽くなったのでよしとすることにした。

 

女子高生の場合

昨日、髪を切った。

明日からの林間学校に備えて準備ばっちり!

髪を切っただけじゃなくて、ちゃんと水着も買ったし、あ、でもパンケーキ食べちゃった。もう、折角ダイエットしてるのにぃ。でも、まぁワンピース型だから大丈夫。えっと、後は、色々なんか、あれも処理もしたし、後は、後は、・・・小関くんに告白するだけ。

小関くんがショートカットが好きだっていうから、今まで大事にしてきた長い髪をバッサリと切った。これは、私なりの覚悟なの。

あー、この髪型見たら小関くん何て言うかな。

「髪切ったんだね。」

「あ、うん。変じゃないかな?」

「変じゃないよ。むしろ似合ってんじゃん。前よりずっといいよ。」

「え、ほんとに!?」

「ほんとだよ!・・・かわいいと思うよ。」

「うれしい。・・・よかった勇気出してみて。」

「え?なんかいった?」

「うんうん。何でもない!!」

あー、もう、なんか、妊娠しそう!!!

小関くんって、草食系だけどほんとは、男らしいところもあるって私だけが知ってるの。皆は、小関くんのことをいじって楽しんでるけど、むしろ私は・・・、もう、なに言わせんのよバカ!

あ、妄想してたらこんな時間。後、三時間しか寝れないじゃない!でも、まあこれで明日の寝てないアピールも成功間違いなしね。まずは、最初に目立つことが大事なんだから!

じゃ、明日の成功を祈って、ぐっどないとぉ。

 

おばあちゃんの場合

昨日、髪・・・。あら、昨日?
いや、一昨日だったかしらね・・・。えーっと、あ、あら?
昨日は確か、日曜日よね?

「由香さん?昨日って日曜日よね?」

「おばあちゃん?まだ起きてたの。昨日は、水曜日でしょ。」

「そうだったかしらね。そうね、そうだったわね。」

「もう、2時よ。私、明日も仕事だからね。お休みね。」

「ごめんなさいね、由香さん。おやすみなさい。」

皆さん、お待たせしてごめんなさいね。そう、昨日髪を切ったの。昨日の日曜・・・。あれ、昨日は、あー、何曜日だったかしらね。多分、日曜日だったわよね?

「由香さん?由香さん?」

「なに、おばあちゃん?また起きちゃったの?」

「あれよね、昨日は、日曜日よね?」

「だから、昨日は、水曜日だよ。とにかく、明日も早いから、ちゃんと寝なきゃダメよ。」

「ごめんなさいね。そうそう、水曜日だったわね、昨日ね。ありがとうね。」

「おやすみなさい。」

「はい、由香さん、おやすみなさい。」

・・・そうね。昨日の水曜日にね、髪を切ったの。まるで、若い頃に戻ったような、そんな気分だったわ。それで、そのまま由香さんとご飯を食べに行ったのよ。確かあれは、中華・・・。いや、イタリア・・・。いや、お肉だったわよね?お魚・・・?

「由香さん?・・・由香さん??・・・由香さん!?」

「もう、おばあちゃん!!今度は何!?」

「昨日、髪を切った後、私何食べたかしらね?」

「髪を切ったのは、今日よ!!それで、そのまま、夜にお寿司を食べに行きましたよ。」

「あ、そうね。お寿司ね。そうなのよ、お寿司なのよね。」

「そうですよ!もう余計なことは考えちゃためですからね!
じゃあ、おやすみなさい。」

「はい、おやすみなさい。」

そうそう、お寿司をね・・・?あれ、髪を切ったのは、確か、昨日だったから、お寿司もその後に食べたのよね?

そうだとしたら、・・・私、今日の夜何食べたかしら。

「由香さん!!!!?」

 

槇原敬之の場合(※空想上のものです)

えー、昨日、髪を切る歌をね、僕作りまして。明日、早速披露してきます。

いつも僕思うんです。僕って天才なんだなって。どの歌詞をみても、あー、この角度から来るのか?って皆さん思ってるでしょう?あれ、僕も歌詞思い付いたときに、感じるんですよ。

結構、当たり前のこと、いってるはずなんだけど、何て言うんでしょうか。こう、なんか、僕って上手いですよね。世界に1つだけのはな何て、その最たる例だと思うんですよね。

「No.1にならなくてもいい、元々特別なオンリーワン」

こんなの、道徳の教科書で小学生の時習うことですからね。それを、ああ、今言うかっていう絶妙なタイミングで売り出しましたよねー。

多分皆さんの僕のイメージって、凄いピアノの前でストイックに歌をね、考えてるイメージだと思うんですけど、実はそんなことなくて、いや、そんなピアノにかじりついて作詞するとか、ダサくないですか?それって才能のない人間がやることだと思うんです。

僕は大体、うんちをしてる最中に歌詞を思い付きますよね。下から汚いものを出す瞬間に、上からきれいなものが降ってくるみたいなイメージですかね。

「どんなときも」とか、「もう恋なんてしない」とか思い付いたときは、ものすごい緩い日だったんですよ。下のコンディションが悪いときほど、なんか、上から降ってくるものは素晴らしいことが多いですね、はい。

まぁ、でも、僕も挫折はありましたよ。中々いい歌詞が生まれなかったときもありまして。その時、長い間便秘だったんですよ。それで、知人にお腹にいい薬だからって、すっきりするよって進められた薬を打ったんですよ。もう、そしたら、みるみる歌詞が湧き出てきて、もう、その薬なしじゃいい歌詞ができないと思ったんです。ほんとに、快便にもなりましたしね。・・・でもね、それが、覚醒剤だなんて・・・。信じてほしいのは僕、ほんとに、知らなかったんですよ!でも、それじゃまかり通りませんもんね。今ではその友達とも完全に縁を切って、ほんとに、自分の実力だけで歌を作ってます。僕を改めて迎え入れてくれた人々に感謝しています。

そんな感謝の思いもこめて、書き上げました。今回の「髪を切る日」という歌。明日心を込めて歌いたいと思います。それでは皆さんお楽しみに。

 

次の日の収録の場合

さぁ、いよいよ僕の出番です。ちゃんと歌いあげるぞ!!

その前に、タモリさんとのトークも頑張らなきゃ!

「タモリさん、お久し振りです!!」

「・・・髪切った?」